1940年8月の真夜中、ドイツ空軍の爆撃機がヘイスティングズに飛来して数発の爆弾――焼夷弾と炸裂弾――を投下した。爆弾は市街の住宅に命中して、吹き飛ばし炎上させた。ただちに消防隊と救難隊が出動して被害者の捜索と救出にあたった。
彼らが瓦礫となった家の残骸を片付けてみると、トラック輸送業者のグレアム・デイヴィスの遺体が発見された。ところが、グレアムの胸にはナイフが突き立てられていた。彼は爆弾が炸裂する前に絶命していたのだ。
通報を受けて、ヘイスティングズ署のフォイルとミルナーがサマンサの運転する車で捜査に駆け付けた。
死んだ男の手には首飾りが握られていた。ペンダントの鎖には可愛らしい白いロケットがついていた。若い女性の持ち物と見られた。
そのとき現場の片隅には、グレアムの妻、ジョイスが夫の死に衝撃を受けて、焼け残った椅子に茫然と座っていた。彼女はちょうど救難隊が駆けつけたときに帰宅し、夫の死を知ったのだった。
フォイルとミルナーはジョイスを警察署に連れて戻って、詳しく事情を聴取した。
ジョイスの話によると、グレアムはロンドンの画廊から委託を受けて美術品をウェイルズに輸送する仕事に携わっていたという。ドイツ空軍による爆撃が迫っている首都から美術品を地方に避難させるためだ。
このところ、国立美術館をはじめ多くの美術館・博物館、画廊から、夥しい数の美術品や展示資料が地方に運び出されているのだ。
グレアムが美術品運搬の委託を受けていたのは、ロンドンのウィッティントン・ギャラリーだった。
ともあれ、グレアムの手にペンダント・ロケットが握られていたことから、殺人には女性が関与している可能性が否定できない。
そこで、フォイルたちはジョイスが家を空けていた理由を問いただした。
すると、夫を一人残してジョイスが旅行をしていたのは、別の町の映画館の支配人との不倫密会が理由であることがわかった。
とはいえ、大男のグレアムに大型のナイフを突き立て、一撃で刺し殺す仕業は、女性の手口とは思われなかった。
まもなく、近隣の住民である老人が、事件当夜、背の高い男に道を尋ねられたという証言を寄せた。しかし、灯火管制で街灯はつけられていなかったため真っ暗闇で、相手の人相はわからなかったという。
◆夜間灯火管制と標識撤去◆
ところで、最近昼夜を問わず道に迷う者が多いのは、ドイツ軍の侵攻に備えて地名や行き先を示す道路標識がすべて撤去されているからだ。地方都市はもとよりロンドンでも夜間街灯はつけられず、道路や街区の案内標識がなくなったことから、居住地以外への旅行や外出はめっぽう不便になった。
それにしても、誰かを殺害しようとしている者が、いくら暗闇とはいえ、人に道を尋ねるだろうか。