刑事フォイル第4話 目次
第3話 レーダー基地
バトゥル・オヴ・ブリテン
運送業者の殺害
美術品の地方避難
アンドリュウの任務
プロッターは全員女性
ステュアート神父
プロッターの自殺
ペンダントの持ち主
グレイム大佐の死
レイダー基地のスキャンダル
美術品窃盗事件
戦時体制と権力者の驕慢
 
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ペンダントの持ち主

  その頃、ミルナー巡査部長は宝飾店を片端から訪問して、殺された運転手が握っていたペンダント・ロケットの持ち主に関する情報を得ようとしていた。そして、ある宝飾工房でそのロケットの修理をしたという事実をつかみ、修理を依頼した持ち主が誰かを聞き出した。
  持ち主はルーシー・スミスという若い娘だった。
  フォイルはブライトン近郊の町にあるルーシーの実家を訪ねた。
  フォイルからロケットを見せられたルーシーの父親、ハロルド・スミスは大きな衝撃を受けた顔つきで、ロケットが娘のものだと認め、彼女は列車事故で亡くなったと告げた。そして、「少し前にほかの家財とともに家から盗まれたものだ」と答えた。

  ところで、その数日前、ハロルドは新聞を読んで愕然とした。その紙面には、ヘイスティングズでトラック運転手が刺殺されたという事件がトップ見出しで報道されていた。

  もちろん、この段階でフォイルは、ルーシーがレイダー基地に勤務していて自殺したということを知らない。それは海軍の極秘事項になっていたからだ。

アンドリュウの逮捕

   ケラー中佐は軍情報部の要員を指揮して、アンドリュウの身辺を探らせ始めた。そして、「小さな傷」を見つけ出した。
  オクスフォード大学で勉学に励んでいた頃、アンドリュウは魅力的な若い女性に恋をした。その女性に近づこうとして誘われるままに共産党員の集会に参加し、そこで学寮の共産党細胞組織に加盟したのだ。
  加盟したとはいっても、アンドリュウにとっては好きな女性に近づくための方便にしぎなかったので、実際にコミュニストの活動に加わることはなかった。その後、女性とは別れ、党籍はいわば自然消滅したようだ。


  しかし、1940年当時のブリテンの共産党は第3インターナショナル(コミンテルン)をつうじて、ソ連共産党の強い影響下にあって、ブリテン政府と軍はソ連を半ば仮想敵と見なして警戒していた。そのため、国内の共産党はつねに監視の対象となっていた。だから、アンドリュウの「苦い体験」に関する情報はたちまち軍情報部によって把握されるところとなった。
  もっとも、エリート大学の共産党細胞は政党組織というよりも、批判精神旺盛なインテリ青年たちのサークル活動のようなものだった。だから、簡単に加盟したり離脱したりしていた。もちろん、真剣に社会主義革命をめざす若者もいた。

  ケラー中佐はそういうアンドリュウの弱みを握ると、軍情報部の公安担当官に彼を監視させることにした。
  そんな頃合いのある休日、アンドリュウはオクスフォードの同じ学寮の親友、ブルース・モーリスと海岸のレストランでランチを楽しんだ。モーリスはいまだに共産党員かそのシンパサイザーであるようだ。
  その日のランチはモーリスの奢りとなった。

  その様子を監視していた公安担当官は、ランチのテーブルでモーリスが財布を取りだして代金を支払った行為を、アンドリュウから空軍の機密情報を受け取ったことへの報酬と――かなり強引に――見なした。
  もちろん、情報の売り渡し先はソ連であると決めつけた。

  こうして、アンドリュウは公安部によって軍機密漏洩の罪で逮捕、勾留されることになった。
  アンドリュウの容疑を動かないものとしたのは、レイダー基地の彼のロッカーから基地の機密書類が押収されたことだった。何者かがアンドリュウのロッカーに機密書類を入れておいたらしい。
  ということは、アンドリュウはレイダー基地の指導部にとって都合の悪い情報をつかみかけたと見なされ、策謀の罠に陥れられたということだ。

  ブリテン国家は、ドイツ・枢軸同盟に対して連合諸国が宣戦してからも、ずっとソ連を敵対視していた。だから、戦争後半の「第2戦線」の構築に対しても、ソ連の東欧・バルカン半島への進出を抑えるために、ノルマンディではなく、ギリシア方面への上陸を侵攻を主張していた。⇒参考記事
  一方、ソ連共産党は自らのヘゲモニー下のコミンテルンの指導体制によって世界の社会主義運動を組織化・誘導しようとしていた。イタリアを除いて、ほとんどのヨーロッパやアジアの共産党はコミンテルン支部を母体に形成された。そのため、イタリア以外の共産党の方針は、ソ連の国際戦略によって左右され引きずり回されるものとなった。
  社会主義運動のこのような偏向を批判するコミュにストや左翼は、別の左翼運動(たとえば第4インターナショナル)を組織化したが、コミンテルンは――スターリン体制の――ソ連共産党の支配下で、そういう自立的な共産主義運動を、思想の内容を吟味することなく「トゥロツキズム」「トゥロツキスト」のラベルを貼って一律に非難・排撃した。
  しかし、英国ではスターリンの「トゥロツキズム」偏見は浸透せず、共産党と第4インター系の人びとはほとんどの場合、互いの理論的な論争は続けながらも、共同戦線を組んで共闘した。

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