今回の物語でも、戦争と戦時体制というものが人びとの生活の社会的環境を乱暴に組み換えてしまい、その結果、戦時体制がもたらした独特の秩序や権力関係、あるいは戦時対策のなかで、他者を蹂躙してもおのれの欲望を満たそうとする者が現れてくることを辛辣に描いている。
とりわけレイダー基地のグレイム大佐のように、軍事組織のヒエラルヒーのなかで享受する地位や特権を振り回して、我欲を押し通そうとする輩の醜悪な姿が浮き彫りにされている。
しかも、その醜悪な行為が、軍事機密や作戦上の必要性という戦時体制特有の障壁によって隠蔽されてしまうという危険性を抉り出している。実に痛快だが、しかし、事件の内容はあまりに沈痛だ。
今回の物語でことさら印象深かったのは、アンドリュウの上官で醜悪なグレイム大佐の補佐・参謀役のケラー中佐の振る舞いと人格の描かれ方だ。
彼はきわめて厳格で、ことに部下に対して規律と厳正な行動を求めるレイダー基地の幹部だ。どんな小さな緩みや失敗をも許さない軍人だ。
ところが、彼は海軍の権力秩序・ヒエラルヒーに対してはじつに忠実かつ従順で、そして彼自身の厳正さの基準を捻じ曲げても卑屈に屈服してしまう人物だ。つまり、下にとことん厳しいけれども、上にはだらしがないほど柔弱な士官なのだ。
こうして、彼の精神のなかではこの矛盾する成否の判断傾向や二律背反する価値基準が、一個の人格としてひとまとまりになっているのだ。
ところが彼の意識のなかでは、基地の運営規則や秩序を維持する必要性とか、かつまたレイダー要員の育成という軍事戦略上の要求というものを、そういう自家撞着した判断を正当化する根拠としているのだ。
つまり、「戦争での勝利」とか「英国の生き残り」という都合の良い形式的な尺度や目的が、部下を自殺に追い込み、その経緯を調べようとするアンドリュウをスパイ罪で投獄するという卑劣な手段をすべて正当化する。
それは黙認というような受動的な行為ではなく、自ら隠蔽工作の指揮を執るという積極的・能動的な行為につながっている。
こうなると、軍組織の心理や行動というよりも、むしろマフィアなどの組織暴力犯罪と何ら変わりない。それどころか、物理的な強制力・暴力を合法的に独占する国家機構としての軍の正当な権力構造や権限を利用してそれをおこなうのだから、さらにタチが悪いというべきだろう。
しかし、こういう「逸脱現象」は、問答無用に国家の強制権力を運用移行しする軍の行動スタイルのなかでは、割合頻繁かつ容易に派生してきたものなのだ。
「上意下達」を至上命題とする軍事組織では、通常、こういう上官の逸脱を抑制・牽制ないし摘発するシステムは働かない。部下や同僚は、そういう行動をとることができないような秩序構造になっているからだ。
そういう「逸脱」を生む出す力学は、女性隊員への性的暴力という卑俗なレヴェルから、将官たちが――部下のイエスマンの賛成指示を受けて無批判に――間違った戦略や戦術、作戦方針を軍組織全体さらには国家の戦争政策にまでおよぶのだ。
ドラマ『刑事フォイル』の物語の痛快さの根拠は、そういう政府や軍の権力者の横暴や逸脱に対して、市民社会の論理を貫いて立ち向かい不正や犯罪を暴くフォイルたちの姿勢にあるように感じた。