フォイルとミルナーは、被害者が高価な美術品の疎開のための輸送を請け負っていたことから、美術品窃盗にかかわって殺人事件が発生した可能性もあるとにらんだ。
そこで、ロンドンのウィッティントン画廊を訪れて主任学芸員、カーマイクルから事情聴取をおこなった。
この画廊は、高齢の富豪ウィッティントン夫人のコレクションを展示しているのだが、空爆の被害を避けるために、ウェイルズの鉱山跡地の保管所に運び出しているのだという。
ウィッティントン夫人は19世紀末から20世紀初頭までからフランスに滞在して、印象派――ことに後期印象派――の作品を蒐集していた。その後、ブリテンに帰国し、やがてロンドンのこの画廊に蒐集作品を預託したのだ。
さて、カーマイクルによれば、搬送時のセキュリティを万全にするために、ロンドンの画廊と運搬先の保管所の双方に照合リスト用の帳簿を用意し、搬出地と受け入れ地の双方で、美術品の名称と科目分類摘要を照合することにしているという。
たとえば、油彩画には「S」という分類記号、素描は「S」をつけて作品名を記入するようにしていた。 しかも搬出のさいには、ウィッティントン夫人の姪がカーマイルに立ち会って、リストに誤りがないか点検してサインしなければトラックへの積み込みができないようにしていた。
だから、美術品の盗難は起こるはずがない、というのがカーマイクルの意見だった。さらにカーマイクルは、グレアム・デイヴィスは信頼のおける運送業者だから、運送途中で美術品の抜き取りや盗み出しをするはずがないと付け加えた。
フォイルはその話の裏を取るためにウェイルズの保管所に赴いて、責任者に事情聴取した。その責任者は、保管所への美術品の到着時に照合リストにもとづいて誤りや見落としがないか入念に検査している、そしてこれまでに欠落や誤りはまったくなかった、と答えた。
保管所の責任者は、こよなく芸術を愛する耽美家だった。彼は、フォイルに「皮肉な喜び」を伝えた。
「世が平和であれば、これほど多くの名作美術品に囲まれて暮らすことなんかは、およそ考えられない。
けれども、悲惨な戦争が起きたため、美術品はこんなウェイルズの片田舎まで運ばれ、おかげで私は素晴らしい作品に毎日接する生活ができるようになった。実に皮肉なものですな」と。
ともあれ、ここで、美術品窃盗をめぐる捜査は行きづまった。