捜査線上にまず最初に浮かびあがったのは、あの2人組だった。だが、アリバイもない代わりに犯行の証拠もなく、厳しい尋問の後に帰宅を許された。
フォイルは次にハリーの妹、ルーシーから事情聴取した。冷静かつ誠実なフォイルの態度を見て、ルーシーは知っている事実を話した。
ハリーがウォーカー邸に侵入する数時間前に、誰かがハリーを訪ねてきたこと。兄は「友人に頼まれて仕方がなくやった」と語ったこと。何かを盗み出したらしいが、どこかに隠していて、隠し場所は見当がつかないこと。それについて兄は「誠実で働き者の友人のもとに預けた」とだけ語ったことなどを。
侵入事件が起きタイミングと前後の状況を考え合わせると、ハリーを訪ねたのはスティーヴン・ベックに違いない。そう見たフォイルは、ベックを訪ねた。
ベックははじめのうち、「裁判の後、ハリーのことが気になったので、出所後に何度か訪ねたが、ウォーカー邸からの書類の盗み出しを頼んだことはない」とごまかしていた。
だが、フォイルが「友人だったのに、そんな見え見えの嘘で私を騙せると思っているのか。情けないよ」と語りかけると、事実を打ち明けた。
ベックが語ったのは、
実の息子の告発で祖国を追われたこと。息子が狂信的なヒトラー信奉者になり、父親を告発したのは、その頃、ドイツに住んでいた英国人の少年、サイモン・ウォーカーの影響と教唆によるものだったこと。英国亡命後も英国の秘密情報部のエイジェントにスカウトされ反ナチス活動を続けてきたこと。とりわけナチス政権に親密な英国企業の情報を収集してきたこと、などを。
ベックはフォイルの事情鞘腫を受けたことをヒルダに報告した。ヒルダは、これまでのフォイルの捜査の成果を知っていた。軍の機密にかかわる事件で、フォイルが何度も真相を突き止めたことを――そういう事件のなかには、国家の利益とか権限をちらつかせてフォイルの捜査を封じ込めたこともあれば、「市民社会の正義」を重んじるフォイルが押し切って軍の幹部を逮捕したこともあった。
ヒルダはベックに確信をもって言い切った。
「フォイルがE&E食品について捜査を始めたのなら、必ず真相を突き止めることになるわ。隠そうとした書類もね」
さて、フォイルはベックから聞き出した事情から、フォイルはナチス政権との秘密協定を隠そうとするウォーカー家のレジナルドかサイモンがハリーが盗み出した物を取り戻そうとして脅し、殺害した可能性を嗅ぎ取った。
そこで、次にロンドンのE&E食品の社長室にレジナルドを訪ねて問いただした。だが、レジナルドは殺害容疑を一蹴したばかりか、自らの経営哲学をフォイルにぶつけて追い返した。その経営哲学とは、E&E食品の企業活動と利潤追求は戦争や国家の利害をはるかに超えた崇高な使命であるというものだった。
レジナルドは警察の捜査の手がおよんでくることを見越して手を打っていた。ハリー殺害事件前のサイモンの言動を知っているフィルビーを即刻アメリカに転任させたのだ。フォイルが来訪したときには、フィルビーはすでにアメリカ行きの航空機で大西洋上にいた。というのも、フィルビーはサイモンから命じられて、ハリーを一人きりで境界付近の見張りに配置したからだ。
レジナルドは息子のサイモンにハリー殺害に関与していないか問いただして、「無関係だよ」という返事を得ていた。だが、息子の政治的信条と狷介な性格を知り尽くしているので、ハリー殺害に関与したと確信していたのだ。
さらに、レジナルドはドイツとの秘密協定をめぐる書類に警察が関心を持つかもしれないと恐れて、自宅に秘匿していた経営関係書類をすべて処分することにして、サイモンに裏庭で書類をすべて焼却するよう命じた。