ところで、ファイルは元部下だった陸軍大尉デヴリンをも容疑者候補に加えていた。というのは、彼は侵入盗犯ハリーに対して強い憤りを抱いていたからだ。
デヴリンはハリーを逮捕した直後に兵役に就き、まもなくフランスの最前線に派遣された。だから彼は、ハリーの罪科と刑罰を審理する刑事裁判の経過と結果については知る機会がなかった。
デヴリンの捜査記録と押収した証拠の管理は上司のフォイルに引き継がれ、法廷に提出された。
ところが、裁判が始まってみると、デヴリンがハリー宅から押収したとされる盗品のネックレスの証拠能力がきわめて疑わしいものと判明した。調べてみると、デヴリンがハリーの逮捕後に、被害者宅から持ち出してハリー宅に隠し、それを盗品として押収したものである疑いが決定的になった。
そこで、フォイルはネックレスを証拠物件から取り下げた。
けれども、被告側弁護士スティーヴン・ベックはネックレスが虚偽の証拠であることを突いて、ハリーの犯罪はなかったという印象を陪審員団に抱かせた。
こうして陪審員団の評決はほとんど無罪に傾いたのだが、裁判長の裁量で家宅侵入だけについて有罪とされ、懲役3か月の刑となった。
刑事捜査官として証拠捏造は重大な職務違反であるばかりでなく犯罪だ。本来ならば、懲戒免職の上に刑罰を受けるべき重罪だ。だが、フォイルはその事実を自分だけの腹のなかに収めてしまった。
つまり、デヴリンはハリーを何が何でも有罪とするために証拠を捏造したわけだ。それだけ、ハリーに対する怒りや嫌悪感が強かったということになる。
ところが、戦傷を負って療養のため英国に帰還してみると、ハリーの刑期はわずか3か月だったことを知った。
フォイルとしては、そういう事情からデヴリンがハリーを殺害する動機がないとはいえないと見たのだ。
そして、ハリーの殺害事件が発生した時間帯に、デヴリンは防衛隊師団本部に報告に出向いていた。だが、徒歩でも10分ほどの距離の場所が事件現場だったため、デヴリンがハリーを殺害する時間的余裕がありうると考えて、彼の身辺や行動の捜査を続けた。だが、アリバイが成立することが判明したことから、容疑者候補から外したのだ。
ケガがすっかり癒えたデヴリンは、最前線に復帰することになった。配属先は北アフリカ駐留の第7装甲師団だという。
デヴリンは前線復帰の報告をするために、警察署にフォイルを訪ねた。そのときフォイルは、デヴリンが盗品証拠を捏造したことを突き止めたが、前線に派遣された者の責任追及をするべきではないと考えて不問に付したこと――そして今後も追及しないこと――を告げた。
それは、デヴリンが優秀な兵員であり、ドイツとの戦争のためには不可欠の戦力のひとりだから、と考えたからだ。それが、フォイルにとって戦時下の警察官ならびに犯罪捜査に課せられた制約あるいは課題だと見ているからだ。
こういうところに、原題の Foyle’s War という表題の含意が垣間見えてくる。