よりにもよってイタリアの政治的・軍事的運命が変革しようとしているそんな時期のある夕刻、ドン・ファブリーツィオの浮気心が燃え上がった。公爵は、シチリアの政治的命運が転換しようとしている状況を正確につかんでいたにもかかわらず、である。
ドン・ファブリーツィオは、パレルモのダウンタウンの娼館街の優雅な一室に暮らすマリアンナの豊満な肉体を求める欲望を抑えがたくなって、夕食後、郊外の邸宅から馬車で出かけることにした。そのことに、さして良心の呵責を感じなかった。
だが、妻への気遣いというよりも体面の保持のために、サリーナ公爵家専属の神父、ピッローネをともなうことにした。とはいえ、夜にピッローネ神父を連れて馬車で外出するときは、愛人の娼婦に会いに行くという公爵の習慣は、妻も家人も知っていた。
ところが、街の中心街に向かう途中、幹線道路の辻や広場に、赤褐色の軍服を着た兵士の群れが集合・待機している情景が目についた。ガリバルディが率いる遠征軍がパレルモの街を占領していたのだ。そして、ファブリーツィオを乗せた馬車は、歓楽街への入り口で、検問している兵隊たち(小隊)によって止められた。
だが、小隊長らしい下士官は、すぐに馬車がサリーナ公爵のものであることを見て取り、丁重に通行を許可した。しかも下士官は、この先の安全を慮って、兵士を護衛として馬車のステップに乗せることにした。
公爵は皮肉めいた気分になった。
ガリバルディの軍隊は、イタリアの国民的統合を拒み妨害している「われわれ有力貴族層の権力」と身分秩序に対抗して組織されたのではなかったか。にもかかわらず、彼らがパレルモを征服したあとになっても、兵士や下士官たちの意識と行動は、彼らが破砕しようとしている身分秩序に順応し続け、貴族への従属的態度を変えていない。
これでは、「革命」ののちになっても、身分秩序や貴族の優越的特権は変わらないではないか。特権的な少数者の優越と支配という構造は、要するに変わりようがないのだ。ただ、その支配階級のメンバーの顔触れや内部での序列が変わるのだが、と。
というわけで、ドン・ファブリーツィオはマリアンナの住居に行きつくことができた。
しかし、途中の修道院で降ろされたピッローネ神父は、公爵にこの行いの罪深さをしつこく言い聞かせて、懺悔するように説得した。が、無駄だった。というのも、ドン・ファブリーツィオは敬虔なローマカトリックの信者でありながら、人間社会に関してはもはや神の存在や威光を信じていなかったからだ。
翌明け方に、公爵はピッローネ神父をともなって、邸宅に帰った。
その朝、若者がサリーナ公爵邸を訪れた。公爵の甥のタンクレーディだった。
タンクレーディは、ドン・ファブリーツィオの妹の息子だった。妹のジューリアは、ファルコネーリ公爵家の跡継ぎ、フェルディナンドに嫁いだ。もちろん、政略結婚である。貴族にとって、家門の結びつきは政治的同盟の締約を意味する。
ところが、義弟となったフェルディナンドは、学問と芸術に加えて、酒や女に惜しみなく金を注ぎ込むことにためらいのない男だった。故郷を離れて北イタリア都市での暮らす期間も長かった。こうした浪費に使う金は、シチリアの所領を抵当に入れて借りた金でまかなった。
家庭を顧みない浪費家の夫のために苦悩したジューリアは、早世した。
そのために、放蕩者の父親が死んでタンクレーディが公爵位を継承するときには、ファルコネーリ家の所領はほとんど失われていた。つまり、タンクレーディは、シチリアでも長い歴史を持つ最有力の公爵の末裔だったが、経済的に没落した貴族の典型だった。
ドン・ファブリーツィオは、いまや両親を失い受け継ぐべき財産もない、若いファルコネーリ公爵タンクレーディの後見人となった。