山猫 目次
原題と原作について
見どころ
あらすじ
滅びの美学
滅びゆく者
ヴィスコンティの歴史観=人生観
シチリアの歴史
1860年5月
ガリバルディのシチリア遠征
侯爵の浮気心
タンクレーディ
未来を夢見る者
リソルジメントの現実
避暑地ドンナフガータで
新たなエリート
タンクレーディの恋と打算
投票結果の欺瞞
タンクレーディの婚約
カロージェロの評判
タンクレーディの凱旋
タンクレーディの野心
おお、ヴィスコンティ!
滅びの美学
上院議員就任の拒絶
夜会の舞踏会
黄昏を見つめて
《山猫》へのオマージュ
シチリア史の特異性

滅びの美学

  1860年の秋から、ピエモンテ王権の(臨時)中央政府は、翌年早々にイタリア王国を発足させるための制憲議会を開催しようと計画していた。
  とはいえ、ロンバルディーアのかなりの部分とヴェネツィア公国はいまだオーストリア帝国の支配を受けていた。もとより、そのほかの諸公国もイタリア王国の主権には必ずしも完全に服属するつもりはなかったのだが。その意味では、今日のイタリア王国の領土よりもかなり狭い領土において、イタリア王国は発足することになっていた。
  それにしても、ガリバルディの遠征軍が征服した諸地方はピエモンテ王権に委譲されたので、まあそこそこの国家としての体裁は整ってきてはいた。

  イタリア領土の本格的な国民的統合は、イタリア王権自身の手だけでは実現されなかった。1860年には、ピエモンテ王権はサヴォイアとニースをナポレオン3世に割譲するすることで、どうにか現状での主権をフランスに黙認させたが、オーストリアは支配地や属領を譲るつもりはなかった。
  イタリア独立派の挑戦を押しつぶすためにロンバルディーア各地を転戦したオーストリア皇帝軍の将軍が、あの行進曲で讃えられたフォン・ラデツキーである。
  結局、1866年のプロイセンとオーストリアの戦争でオーストリアが敗れ、講和の条件として――オーストリアの勢力を切り縮めようとするプロイセンの要求で――ヴェネツィアとかロンバルディーアの新生イタリア王国への割譲=返還を強制されたことから、幸運にも新王国は、ほぼ現在の規模の領土を獲得することができた。つまりは、ヨーロッパ諸国家体系の政治的・軍事的環境の構造変動によって、イタリア国家の命運は左右されたのだ。

上院議員就任の拒絶

  話を戻して、
  しかし、諸国家が対抗し合うヨーロッパでイタリア王国を形成するためには、近隣の列強諸国家の影響下にあって、つい先頃まで独立の政治的・軍事的(主権)単位として振る舞っていた多数の諸地方をピエモンテ王(サルデーニャ公家)の主権のもとに政治的・行政的に統合しなければならない。そのために、王国臨時中央政府としては、王国議会に各地方の支配階級を結集・組織化することをめざした。
  国民的規模での議会制度を構築するのは、ただ単に有力市民の意見を集約するためではない。有力な諸階級を議会装置の周囲に組織化し、国民的凝集の政治的中核を形成するためだ。
  国民的議会制度の設立は、民主主義の実現というよりも、それまで地方ごとに分立・分裂していた支配階級を単一の国家装置の内部に結集させ組織化し、新たな国民国家のエリートとしての意識=イデオロギーを共有させ、国民的統合の中核として機能させようという目論見によって進められたのである。
  下院については、各選挙区での市民による投票――ただし、有権者は全成年男性人口の1%あまりにすぎなかった――に委ねるとして、上院(貴族院)には、王権=政権の指名リストにもとづいて各地の有力貴族や有力都市の代表を召集することになった。
  このため、王権は各地に政府の特使(王の顧問官)を派遣して、リストに載せられた貴族を説得して回らせた。
  ところで、当時のイタリア国民とは、人口の1%に満たないこの――投票権をもつ――特権的な極少数者を意味したのだ。国家によって市民権を認められない住民は「国民」ではないのだ。

  さて、われらがサリーナ公爵ファブリーツィオの名前も、この上院リストのなかに相当に高い位置づけ・格づけで載せられていた。シチリアに派遣されてきたのは、シュヴァレイ・ディ・モンテルズオーロというピエモンテの領主貴族だった。
  彼は、ドン・ファブリーツィオ好みの高い学識を備えた慎み深く誠実な理想家だった。シュヴァレイも、学識豊かなファブリーツィオを気に入り、深い尊敬を抱いたようだ。
  だが、公爵は上院議員への就任を丁重に断った。理由は、彼自身が旧来からの行動・思考スタイルに染まった階級に属すことを知り抜いていて、もはや旧い支配階級に幻想を抱く余地がなかったからだ。しかも、イタリア新生国家の行方に、かなりシニカルになっていたからだ。
  そして、自分の代わりに、ドン・カロージェロを推薦した。これからのイタリアは、あのような人士を指導者に加えるべきだと。だが、その提案は、シュヴァレイによってにべもなく拒否された。
「いずれ彼は、下院議員に立候補して成功するのでしょう。しかし、彼のような成り上がり者によって、イタリア国家は食い物にされる恐れも大きいのですよ」と。
  ファブリーツィオは、そのとおりだと思った。だが、権勢を得たものが富や権力を独占するのは、世の常ではないか。われわれの家門だってそうやってのし上がり、ドンナフガータを支配してきたのだ、ということも知っていた。
  それにしても、いずれにせよ、私はそういう国家形成をめぐる権力闘争や権勢争いに入り込むには、年をとりすぎた。力を失った古い家系は衰滅していくべき存在なのだ、と。支配者の世界にも進化論のメカニズムとと自然淘汰の圧力ははたらいているのだ。

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