シチリアの各地方には課税・徴収を担う行政組織がなかった。というよりも、貴族たちの所領管理のための貧弱な家政装置はあったのだが、農耕地の見回りと保全、小作人から地代や村の粉挽き小屋の使用料を徴収するという程度の仕事をこなすだけだった。
王権による徴税は、免税特権を持つ貴族を通り越して(消費物品への課税という形で)都市住民や農民の肩にのしかかっていたのだが、その徴収は町や村の金持ち商人が請け負っていた。税額の計算も小売商人や卸売商人組合からの徴収は、利得の権利として、入札によってあれこれの商人に割り振られた。
利にさとい商人たちは、商業会計の手法でもって抜け目なく税額の計算と徴収をおこない、入札で提示した金額を上納する。実際の徴収額と上納額との差額は、利益として請け負い商人の手に残った。やり方によっては、確実に利潤を蓄える機会となるが、いい加減な計算と手ぬるい徴税をおこなうと足が出ることにもなりかねない。
カロージェロが、徴税を請け負い、確実に利潤を蓄えてきたのは、いうまでもない。高利貸しと徴税役人を兼務しているのだから、経済的・財政的には新興の成り上がり商人たちこそが実質的な支配階級だった。
カロージェロは、先頃のガリバルディの遠征軍のシチリア征圧戦にさいしては、遠征軍に味方して大きな資金援助をおこなった。もちろん、万事抜け目のないカロージェロだけに、したたかな目論見=計算がはたらいていた。
彼は貧しい小作人の出で、若い頃から勤勉と倹約(つまりケチ・吝嗇)に徹することで資産を蓄え、余剰資金を土地の入手とか小売業、さらには卸売業への参入のための投資に振り向けて、富裕者の地位に昇りつめた。さらに富裕になるつもりだ。新たな統治者から献金と引き換えにさまざまな特権を受け取るつもりだった。
そして、ドンナフガータはもとよりシチリアでも有数の平民出の資産家として評価されるまでになった。
だが、「卑しい身分の出」ということで、経済的資産に見合う社会的地位にはほど遠い立場に置かれたままだった。シチリアの政治的決定の過程からは、はじき出されたままだった。ドンナフガータの村長とはいっても、単に貧しい農民の代表という程度の役柄だった。
だから、庶民も国民として扱われるはずのイタリアの国民的統合が達成されれば、平民出の成り上がり者も政治に参加し、特権によって参入を阻止されている事業や市場に参入できるようになる。カロージェロは、そういう読みをしたから、リソルジメントへの積極的な肩入れを試みたのだ。
いわば、先行投資であり、カロージェロはこの賭けに勝ったのだ。
ドン・ファブリーツィオは、ガリバルディ軍に参加したタンクレーディから、カロージェロの評判を聞いていた。そして、いまやサリーナ公爵家をもしのぐ地主・資産家となりつつあるカロージェロにいたく興味を持った。
で、歓迎式典の答礼ということで、カロージェロ夫妻を内輪の晩餐に招待した。
その日の夕方、シチリアで最有力の公爵に招かれたということで、精一杯めかし込んで、サリーナ家のパラッツォに訪れた。だが、タクシードにシルクハット姿のカロージェロの姿は、ドン・ファブリーツィオから見ると、なんとも珍妙で滑稽だった。生地は上等だが、採寸や裁縫に出費をケチったらしく、タクシードは身体に合っていなかった。
外見の品格とか洗練というものとは、およそ無縁な姿だった。公爵は衝撃を受けたが、他方で、ますますカロージェロなる人物に興味が深まった。
さて、屋敷に迎え入れられたカロージェロは、いきなり額に汗を浮かべて釈明を始めた。
「たいへん失礼だが、妻は身体の調子が悪いので、晩餐には来れない。その代わりに、娘のアンジェーリカをともなって来たので、よろしく」というのだ。そして、「何しろ、女ときたらめかし込みに時間がかかるものですから、少々遅れてまいります。お許しください」と。
しばらくして、邸の扉をくぐってやって来た妙齢の女性を見た人びとは、その娘の美しさに驚愕した。
ぶしつけに邸内を見回しながら大股に歩いてくる娘の姿は、貴族の屋敷内で求められる礼儀作法や品性、慎ましやかさからは、かけ離れている。だが、ドレスを見事に着こなした容姿の端麗さ、はつらつとした美貌は、そんな外見上のこまごまとした約束事がどうこうという評価をはねのけてしまった。
アンジェーリカは、公爵の娘、コンチェッタの幼なじみで、10歳頃までは、夏にはこの屋敷に遊びに来ていた。しかし、8年後の今、彼女はすっかり変貌をとげていた。
カロージェロは、アンジェーリカを金持ちの娘として――上流階級の若者の妻となる機会を狙えるように――育てるために北部の修道院付き寄宿女学校に行かせていた。細かなエティケットまでは手が回らなかったが、聡明な娘は、身だしなみや服装、化粧とか、気のきいた会話のテクニックをマスターしていた。