山猫 目次
原題と原作について
見どころ
あらすじ
滅びの美学
滅びゆく者
ヴィスコンティの歴史観=人生観
シチリアの歴史
1860年5月
ガリバルディのシチリア遠征
侯爵の浮気心
タンクレーディ
未来を夢見る者
リソルジメントの現実
避暑地ドンナフガータで
新たなエリート
タンクレーディの恋と打算
投票結果の欺瞞
タンクレーディの婚約
カロージェロの評判
タンクレーディの凱旋
タンクレーディの野心
おお、ヴィスコンティ!
滅びの美学
上院議員就任の拒絶
夜会の舞踏会
黄昏を見つめて
《山猫》へのオマージュ
シチリア史の特異性

投票結果の欺瞞

  ところで、ドン・ファブリーツィオは、タンクレーディの婚約準備のためにチッチョ・トゥメーオから情報を仕入れるが、そのとき発表された「人民投票」の結果がひどく欺瞞に満ちたものだったことを知る。
  チッチョによれば、ドンナフガータ村には彼やサリーナ公爵を含めて50人ほどの投票権保有者がいた。
  開票後に発表された投票結果では、およそ50票のすべてが「イタリア王国」へのシチリアの統合に賛成だったという。
  ところが、少なくとも、チッチョは、サリーナ公爵やらボルボーネ王権の恩顧・恩義を深く感謝しているので、「統合に反対」という投票をおこなっていた。ほかにも、反対票はあったかもしれない。しかし、公式の発表では、反対はなく全票が賛成だったというのだ。
  つまり、投票結果は、新たな権力構造におもねった結果に操作されていたわけだ。
  人民投票を組織化し推進した勢力は、彼らに都合のよい投票結果となるように結果を操作したのだ。人民投票をつうじて公式に人民の意思として示されたのは、欺瞞によってつくられたものだった。

  現今の力関係に合わせた意思形成、これは、国家レヴェルでのトラスフォルミスモを意味する。対立的な意見の政派の抱き込み・取引きや威圧・脅迫によって、対立点を隠蔽し、懐柔した少数派(反対派)にも利益の配分をおこなう。この仕組みは、個人のレヴェルでは、多数意見に順応した巧みな変わり身、すり寄り、その報酬として権限の分与とか「利益のおこぼれ」に与る態度などを意味する。
  トラスフォルミスモが国民国家の政治的意思決定とか政策形成の仕組みとして確立されたのは、まさにリソルジメントの後期(1860~80年代)のことだった。
  それ以後、現代までトラスフォルミスモは続くが、ことにキリスト教民主党の支配のもとで、もっとも醜悪な形態に仕立て上げられたという。極右から社会党までを抱き込んだ、金まみれ、汚職まみれの統治構造である。
  こうしたレジームの一端については、このサイトの記事〈神の銀行家たち〉参照。

タンクレーディの婚約

  それから2か月後、シチリア遠征軍にいたタンクレーディは、ピエモンテ王軍に合流し再編成された軍に編入され、新たな階級と任務を与えられ、北イタリア各地を転戦していた。粗野な革命の情熱に燃えていたはずのガリバルディ軍は解体され、軍が担うイデオロギーと政治的課題はすっかり組み換えられていた。
  統制のとれない急進的革命的な民衆の軍隊から、王権の権威のもとで国民的レジーム=秩序の維持を目的とする整然とした国家装置へと。

  そのタンクレーディからサリーナ公爵のもとに手紙が届いた。
  軍務をめぐる近況報告ののち、タンクレーディは、ドン・ファブリーツィオに、ファルコネーリ公爵の後見役として、アンジェーリカとの結婚を許可してもらうことを父親のドン・カロージェロに願い出てほしい、そして婚約を取り結ぶための準備をしてほしいという内容だった。
  ファブリーツィオの妻(公爵夫人)、マリーア・ステッラは手紙の内容を知ると、「タンクレーディはコンチェッタの気持ちを裏切った」と憤り、甥に対する不安をぶちまけた。だが公爵は、タンクレーディとアンジェーリカとの婚約、というよりも、ファルコ-ネ家(名誉の家門)とセダーラ家(経済的資産)とを政略的婚姻によって結びつける方針を決定したと断言した。すると、マリーアはしぶしぶ不満の吐露を終わりにした。
  貴族の結婚というものが、どれほどロマンスの外見に飾られようと、所詮は家門と家門との政治的ないし経済的=財政的同盟の外被にすぎないことを、彼女は身をもって知っているからだ。

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