先頃、アメリカ合衆国大統領オバマが広島の原爆資料展示施設を訪問して、核兵器縮減・廃絶に向けたメッセイジを公表した。日本に原爆を投下した国家の指導者が爆心地だった場所を訪れ、被爆者の代表と会見したことについては、その後、さまざまな評価がなされている。
ともあれ、核兵器の脅威について映画の世界では、日本の怪獣映画の創始『ゴジラ』が人類史と核兵器ないし地球の軍事環境との関係について、独特のメッセイジを提示した。これについては、このサイトですでに取り上げた⇒『ゴジラ&怪獣映画』。
ところで、日本のゴジラ映画と比較されて評判がいま一つだった1998年のハリウッド版ゴジラ。ところが、先入観を捨てて詳細に観てみると、なかなかにすぐれた作品だ。日本の初版ゴジラと通底する問題意識もあるし、リアリティとか物語性についての欧米流の方法論を分析する材料にもなる。
表層的な面白さや見せ場の奥にある制作姿勢を見ると、むしろ2014年公開のハリウッド版ゴジラ――後の機会に検討する予定:そこではアメリカ軍による核兵器開発に免罪符を与えている――よりも制作姿勢は誠実で、怪獣誕生をめぐる「ごまかし」がない。
見どころ
世界最大の核兵器大国、アメリカ合衆国の映画界が核実験による突然変異によって誕生した巨大怪獣ゴジラの物語を描いた。日本版では、アメリカの核実験が怪獣出現の原因だった。その物語には、アメリカ軍によって原爆を投下された日本の屈折したルサンティマンが塗り込められている。
したがって、核汚染による突然変異によって誕生した大怪獣ゴジラを描くことは、アメリカでは一種のディレンマを呼び起こすことになる。
とはいえ、巨大怪獣ゴジラの最大の魅力は、核実験=放射能汚染による突然変異で誕生したという来歴にこそある。
だから、ハリウッド版といえども、核実験や核兵器に対する批判精神を受容=内包せざるをえなかった。とはいえ、政府とペンタゴンに対するあからさまな非難がましい態度はタブーでもある。
その結果、ゴジラの生まれた場所は、フランス領ポリネシアということになった。30年以上におよぶフランスの核実験場だった海洋諸島である。執拗なフランスの核実験が、人類=現代文明に対する深刻な脅威を生み出したというわけだ。
世界最大の核大国アメリカが、怪獣ゴジラ誕生の責任=原因をそっくりフランスに押しつけてしまったしまった形だ。だが、それはフランスという鏡像に映し出されたアメリカ自身の姿――カリカチュアライズされた姿――でもある。
フランスもまた、軍産複合体が支配する有力国家だからだ。フランスにしてそうならば、ましてアメリカをや……ということになる。
その意味では、ハリウッド映画界の良識とか批判精神も――わずかかもしれないが――込められた映像物語である。核汚染の深刻な影響が物語に仮託されているからだ。フランスに向けられた非難がましい視線は、そのまま増幅されて跳ね返ってくるのだ。
事態や状況の描き方、表現には斜に構えた風刺や皮肉がこめられていて、思わず力が抜けるような諧謔がたたみ込まれている。
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