ザ・バンク 堕ちた巨像 目次
国際金融権力の闇
原題と実在の事件
見どころ
ベルリン中央駅前
連絡官の暗殺
クレマンの死と兵器取引
カルヴィーニ暗殺
暗殺者を追い求めて
世界企業の犯罪と個別国家の障壁
ニューヨークでの捜査
美術館での銃撃戦
復 讐 戦
されど不死身の金融組織
IBBCのモデル…
反グローバリズムの陥穽
銃撃戦の舞台はなぜ美術館…?
首都の有力銀行乗っ取り計画
BCCIの策謀の顛末
おススメのサイト
国際金融スキャンダルの闇
神の銀行家たち
ゴッドファーザー Ⅲ
プロローグ

■BCCIの策謀の顛末■

  1978年、クラーク・クリフォードとロバート・アルトマンは、このM&A作戦をめぐって、合衆国におけるBCCIの法律顧問(法定代理人)として、買収劇に関与してきた。元国防相が、腐臭ぷんぷんの「危ない銀行」の弁護士になるとは!?
  よほどに高額の報酬を鼻先にぶら下げられたのだろう。
  あるいは、ペンタゴン(CIA)の裏金融筋が絡んだのか? そのあげく、ミイラ取りがミイラに取り込まれたのか?
  普段「愛国心」だの「国防の必要」だのと偉そうに言っている連中は、しょせん権力欲望で動いているから、そんあものかもしれない。
  私としては、この出来事の方がよほどに衝撃的な映画作品になると思うが、アメリカの権力機構とハリウッドの支配装置は、それを許さないだろう。

  さて、BCCIは前々からこの金融機関に目をつけていて、乗っ取りの実働部隊のボスとして、カーター政権の予算局長バート・ランス――ジョージア州の有力銀行家――を雇って、77年から準備作業を進めていた。
  ワシントンにM&A専門の金融会社を組織・設立したのだ。FCB=ファーストアメリカン銀行の公開株式を買い増していた。
  1978年にはFGBの公開株式の4分の1を握っていたという。
  当然、大手の金融機関の買収だから証券取引委員会(SEC)や連邦金融当局、さらには司法省に届けや認可の申請を出すことになる。何事も「民間優位」のアメリカ金融市場だが、業界団体や監督=規制当局による点検も厳格である。もちろん、独占禁止法上の妥当性などの社会的公正の観点からの規制もあるが、眼目は、既存の権力構造への脅威を除去するためである。
  とりわけ、SECによる審査は厳格である。有力企業、とりわけ金融企業の買収話や合併話は証券市場ではなかなかに有望な――投機や投資のチャンスともなりうる――投資対象・投資機会にもなるので、買収当事者の企業ガヴァナンスや財務体質、資本関係についての審査は厳しい。

  SECはとりわけ買収事業に乗り出したグループの資本=資金の出資元が誰なのかについて調査した。が、その背後関係は提出された書類資料には明示してなかった。要するに、いくつものトンネル会社や幽霊会社(名義だけの会社)を経由していて、どこかのタクスヘイヴンで痕跡が消え去る……というBCCIお得意のシロモノであったのだろう。
  そこで、SECは、買収主体資産と権力の所有・帰属関係についての開示が適正でないとして買収に待ったをかけた。しかし、巨額の資金をもって動き始めた買収=乗っ取り計画を止めることはできなかった。何しろ、BCCIは軍産複合体・政府関係の人脈を動かしているのだから。


  買収=乗っ取り屋グループはついに、FCBの株式買収のための提示額を7000万ドルにまで積み上げた。そのとき、連邦準備理事会(FRB)がこの買収を拒絶する意向を表明した。
  しかしそれでも、買収計画は止まらなかった。
  ついに1980年、FCBは1億8000万ドルでの経営権買収(が可能になる持ち株比率)を受け入れた。だが、契約書――もちろん、実体が怪しげなBCCIが経営に関与することなど微塵も書かれてはいない――は交わされたが、金融規制当局は、契約書の文言どおりにBCCIの経営への関与がない旨の証明を迫り続け、82年まで買収実行を遅らせることができた。

  言うまでもなく、クリフォードとアルトマンは「自分たちはダミーではなく、由緒正しいアメリカ国内の金融会社であって、実質的な経営権の行使は自分たちがおこなう」と確約した。もちろん、通り一遍のステイトメントの発表だけであって、買収法人の資本支配関係に関する資料は明示しなかった。
  とはいえ、M&Aの認可騒動はさらに10以上続いて、結局のところ、1990年代になってから、BCCIのスキャンダル・腐敗が暴かれると、ファーストアメリカンは一気に信用を失い、預金引き上げやら取りつけ騒ぎ、取引き先からの縁切りなどで、巨額の損失を出すことになった。
  1993年にファーストナショナル・コープに売却された。
  じつに微妙なタイミングでBCCIの違法・犯罪摘発が進んだものだと感心する。というよりも権力闘争の結果だと見るべきだろう。

  同じような事件経過が、合衆国のあちこちで起きた。たとえば、ナショナルバンク・オヴ・ジョージア。
  要するに、BCCIは、アメリカの内部にも怪しげな金融支配のルートをクモの巣のように組織しようと画策していたのだ。
  BCCIが、このような目先の利益でアメリカの有力法律事務所や有力企業の経営陣をたぶらかして、金融市場への足がかりないし支配網を組織化できたのは、レイガン政権の金融自由化=野放し政策による追い風を受けてのことだった。金融規制の緩和や構造改革なるものの実態が、そこに透けて見える。

  1970年代末からブリテンのサッチャ-政権とアメリカのレイガン政権によって鳴り物入りで始まった経済=金融自由化とは、結局のところ、世界的規模での金融アナーキーをもたらし、目先に金をぶら下げた怪しげな金融資本が大手を振ってのさばり、企業や金融市場を食い物にするための環境づくり、下拵えだったわけだ。   そして、BCCIの急成長はアメリカ政府内での極右勢力の伸長と軌を一にしていることが偶然ではなさそうだということも明らかとなっているといえる。

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