マイケル・コリンズ 目次
アイアランド独立闘争
見どころ
あらすじ
独立闘争の前史
航海諸法と大飢饉
ダブリン議会
フランス革命の時代
19世紀の抵抗と反乱
イングランドの食糧供給地への転換
土地戦争
自治権闘争
イースター・ライジング
アイアランド評議会
ダブリン警察内のシンパ
独立闘争の熾烈化
局面の転換
デヴァレラの脱走
捨て身の総攻撃
戦闘から交渉へ
タフな交渉
独立派の分裂抗争
マイケル・コリンズの死
マイケル・コリンズの実像
◆その後のレジーム◆
◆北アイアランド問題◆
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死にゆく者への祈り

■2■ ダブリン議会

  17世紀のイングランドの諸革命が、じつはアイアランドへの残酷な支配と抑圧のメカニズムを完成させたことは、見ておいた。
  この長い革命期とその後の数十年間をつじて、アイアランド全域にイングランドによく似た地主領主制が移植・確立された。
  地主貴族たちは、イングランドではロンドンシティの金融寡頭商人や大貿易業者たちと濃密な人脈や血縁関係を築き上げながら、王権レジームを支える政治的・経済的同盟を組織していた。アイアランドの新たな支配階級もまた、この権力ブロックと結びついた。
  そして、イングランドの権力をアイアランド統治におよぼす統治組織ができ上がるにしたがって、アイアランドの大都市にも貿易商人や金融商人、行政機関に勤める官僚や官吏、企業経営にかかわる法律や会計などの専門職層が形成されていった。

  アイアランド島の中心都市ダブリンには議会が組織された。だが、その圧倒的多数は地主貴族や都市の有力商人などの利害代表だった。1782年の革命で、イングランド政府はダブリン議会の自治権を承認した。
  当然のことながら、イングランドの支配諸階級と結びついた特権層とその影響力のもとにある諸階層の利害代表からなるダブリン議会は、アイアランドの多数の民衆の利害を配慮することなく、アイアランドをイングランドに従属する属領として統治することに、最大の関心を持っていた。

■3■ フランス革命の時代

  それからまもなく、フランスでは王権の統治危機と王室財政の破綻から、革命的騒乱が勃発した。多数の民衆蜂起が起きたが、この革命もまた、ブリテンと同じように、貴族と商人との同盟によって指導され、その支配に照応したレジームが形成される権力闘争であった。
  ところが、革命勢力に敵対するイングランド王国もまた貴族と商人との同盟だった。ただし、この同盟は、レジームの統治機構の頂点=中心に王権を据え続けようとする企図をかたくなに抱いていた。支配階級はいずれの側も同じで、しだいに国民対国民という対立構図になりつつあった。

  では、フランスの革命勢力の指導層は何を企図していたか。
  彼らが抱いた危機感は、ヨーロッパ全域に広がったブリテンの覇権によって、フランス王国の統合が解体され、とりわけ海外の勢力圏や植民地がイングランド商業資本の覇権のもとに取り込まれてしまうのではないかというものだった。
  旧来からの地方的権力の分立構造の上に乗っかっているような王権では、フランスの統合は達成できない。王国は数百にもおよぶ独立の関税圏に分裂していて、共通の関税同盟(つまり制度的に統合された市場)を結成することができないままだった。王権が、地方分立を望む守旧派の地方貴族や都市団体の権力に依存する限り、王国の国民的統合は望むべくもなかった。
  フランス全土をひとまず単一の関税同盟に統合しなければ、ブリテンの経済的権力の浸透――ブリテン製品やブリテン経由の海外産品の輸入――を抑えて、域内の商業と工業、貿易の自立的成長を保護育成するすることはできない。
  過激な政治闘争や暴力事件などの撹乱物を捨象して分析すれば、フランス革命からナポレオン・レジームまでの一連の動きの政治的目的は、以上のようになる。フランス革命は、強烈な国民意識=ナショナリズムを生み出したのだ。


  フランス革命を野放しにすれば、ブリテンのヨーロッパでの覇権にひびが入り崩壊してしまうかもしれない。これがブリテン支配層の本音だった。「貴族制の廃止」などというのは、瑣末な問題だった。というのも、フランスにはわずか十年で、貴族制や身分特権制度が復活するからだ。
  もちろん、フランスの過激な革命思想の影響を受けてイングランドでの地主貴族と商人の同盟――これがブリテンの世界市場支配の中核となる権力ブロックだ――による統治に反対する動きは、断固として粉砕しなければならない。
  というわけで、ブリテンはヨーロッパ大陸の諸国家を買収したり、威嚇したりして、反フランス同盟に組織化した。この同盟は総じて有効に機能した。ゆえに、フランスの熾烈な反攻を引き起こした。フランスは全く新たな――国民イデオロギーで組織化した――軍事組織と戦略を生み出して、周囲の諸国家に侵略し略奪によって戦線を拡大していった。

  フランス軍はブリテンと同盟する大陸諸国の中央政権を打倒して、新たなレジームを組織させて、自らの同盟に引き入れた。
  この戦争はナポレオンに引き継がれた。
  ブリテンは、強大な海軍力と海運組織を駆使して、フランスとその同盟諸国の貿易港を封鎖・攻囲して、大陸諸国と世界市場との結びつきを断ち切り、破壊した。ナポレオンは、これに対抗して大陸体制( Systéme Continentale )を敷いた。が、ヨーロッパ諸国はもはや世界貿易なしには域内経済の再生産が成り立たなくなっていたから、ブリテンの金融・財政支援を受けて反ブリテン同盟から次々に脱落していった。

  さて、アイアランドの独立を求める団体、アイアランド人連合は、フランスとイングランドとの敵対を利用しようとした。1796年には、連合の代表がナポレオンのもとに出向いて、――ブリテンの足元をかき乱すために――フランスとの同盟と引き換えに援軍の派遣を要請したが、成功しなかった。ナポレオンは戦略的に大陸内部で東方(ドイツ、中欧、東欧)への攻撃を優先していたからだ。
  だが、アイアランド各地では暴動や蜂起が続発した。1797年、アイアランド南東部での反乱はアイリッシュ海峡沿岸にも波及し、ネーデルラント(フランスの同盟国)への出撃を開始したブリテン北海艦隊の航行を一時的に阻止した。しかし、この動きも大陸諸国の艦隊や陸軍の動きと切り離されて孤立したまま、鎮圧された。

  ブリテン政府は、アイアランドと大陸との結びつきを断ち切ったうえで、むしろアイアランド民衆を勝ち目のない絶望的な蜂起・暴動に駆り立てて、指導者や反乱組織を押し潰していった。1799年には、最後のアイアランド人連合の反乱が鎮圧された。
  そして、翌年には、「アイアランド編合法( Act of Union )」によって、それまで独自の議会=立法権を保有していたアイアランドをブリテン連合王国に編合した。アイアランド議会の多数派――ブリテン政府首相ピットの意向で、何百万ポンドも投じられ、大規模な議員の買収がおこなわれて組織されたという――は、この編合法に賛成して、自らの権限を放擲した。

  こうして、アイアランド自治政府は消滅した。きわめて限定された立法権すら失ったのだ。アイアランドの行政府は、ブリテン王国の統治組織の地方機関、末端組織として機能することになった。あたかも植民地行政のように。
  イングランド国内と同じように、人身保護令とか宗派による差別抑制などの制度が導入されるはずだったが、アイアランド民衆に有利な法制度への移行についてイングランド王は拒否した。その代わりに、アイアランドで過酷な地代や課税に異議申し立てしようとする農民や都市民衆の反乱を弾圧する諸法が徹底的に整備されていった。民衆の団体・結社は全面的に禁圧された。

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