アイアランド独立派に対して軍事的には圧倒的な優位にあるブリテン軍ではあったが、とりわけ精神的・政治的・道徳的にこれ以上ないほどの打撃を蒙っていたのだ。
というのは、まず何よりも第1次世界戦争でブリテンの世界覇権は根幹から揺らぎはじめ、掘り崩されてようとしていたからだ。
植民地世界帝国を築き上げたブリテン王国は、世界各地の植民地――インドやカナダ、オーストリアなど――の自立化や独立の要求を封じ込めるための政治的プロパガンダ(見せしめ)として、アイアランドに対してことさらに過酷な支配と抑圧で臨んできた。そして、泥沼の戦争に陥った。
では、この「力の政策」が世界の植民地に対して役立ったか。答えは否だった。むしろ、ブリテンの覇権の衰弱によって、「力の空白」ないし「綻び」がいたるところに出現した。
世界市場での資本蓄積競争では、ブリテンはすでにドイツとアメリカに追い抜かれ、フランスに並ばれ、日本やイタリアも急追されている。工業力では、すでに30年以上前から最優位を明け渡してしまった。
貿易と金融での優越はいまだどうにか保っているが、没落の日は遠くないように見える。世界の金融センター、ロンドンシティを抱えるブリテンは、世界金融の組織化にさいしての影響力は、まだまだ世界最強だったが、もはや圧倒的な優位にあるとはいえない。
国家財政も逼迫していて、政治力と軍事力でもヨーロッパで優位を維持するためには、太平洋やインド洋方面の軍事力を軽減しなければならない。
もはや全世界をカヴァーする権力は失ってしまった。ラテンアメリカにおける権益を合衆国の地域覇権に譲歩してからすでに久しい。
このような危機の時代に、ブリテン政権はアイアランドでは強硬な作戦に乗り出してSISのエリート、ソウムズとその部下たちを失ってしまった。民衆のなかに溶け込んでゲリラ戦を仕かけてくるIRAを壊滅させることは不可能だと判断し始めていた。
ブリテンの強圧的支配が続く限り、アイアランド民衆の抵抗闘争や反乱は一時的に抑え込むことができても、なくなりはしない。
というわけで、ブリテンは統治方式の転換という譲歩を覚悟して、独立派=共和派に講和協定のための交渉を申し入れた。
植民地や属領にとって、「講和」の交渉相手になったことだけで、すでに政治的・法的には、外交交渉の半分は成功したことを意味する。世界最強の国家ブリテンの「対等の交渉相手」となったのだから。
デヴァレラは、講和交渉のアイアランド側使節団の代表にマイケル・コリンズを指名した。マイケルははじめ固辞した。
「私は、ブリテン当局から暗殺の首謀者として手配されているんだぞ。
戦闘ばかりを指揮してきた私には、外交交渉のようなデリケイトで困難な仕事が務まるはずがない」と。
だが、デヴァレラは方針を変えなかった。
たぶん、そこには独立派から見て、この交渉が成功裏に終わる可能性がきわめて小さいという判断があっただろう。おもわしくない交渉結果の責任者として指弾される立場に立ちたくなかったのだろう。この画面からは、そう読み取れる。
この描き方は、マイケル・コリンズを「ヒーロー」として描くための脚色であろう。