ここからは映画本編の物語を跡づけることになるが、必要に応じて、脚色された映像物語と史実とを比較参照することにする。
この映画の極東・日本向けヴァージョンはかなり上映時間を切り縮められているようで、物語の筋道や背景が全然わからない。そこで、筋立てを正確に理解するために、実際の歴史経過を参考にして、映像物語を補うことにするためだ。
物語は、マイケル・コリンズの死の直後、同僚にして補佐役、ジョウ・オライリーの回想で始まる。
回想の冒頭は、凄まじい戦闘シーンだ。
1916年4月末の「イースター・ライジング(復活祭の蜂起)」の最後の局面、つまりアイアランド共和派=独立派の惨めな敗北の場面だ。
アイアランド共和派兄弟団によって組織された義勇兵部隊が、ダブリンの合同裁判所庁舎を占拠して武装蜂起し、ブリテン軍と対峙した。この戦闘を指導したのは、法廷弁護士兼教師のパトリック・ピアース。これにジェイムズ・コナリー率いるアイリッシュ市民軍などが加わっていた。蜂起は、4月24日から30日まで続いた。
共和派戦闘員たちは、庁舎ビルに立て籠もって、兵員数と装備、訓練度合いで圧倒的に優位に立つブリテン軍を相手に抵抗し、銃撃戦を続けてきた。しかし、追い詰められ、敗色は濃かった。
庁舎を何列にも包囲したブリテン軍は、野戦砲の列を配置した。
ブリテン軍の指揮官は、アイアランド共和派義勇兵に対して降伏を勧告した。だが、勧告への答えは銃撃だった。指揮官は、一斉砲撃を命じた。庁舎のいたるところに砲弾が撃ち込まれ、内部の義勇兵たちに深甚な損害を与えた。このまま戦闘を続ければ、全滅は免れない。
白旗が上がった。ついに降伏。
ブリテン軍指揮官は、共和派軍全員に建物の正面に出てきて武器を捨てて、3列に整列するように命じた。生き残っていた、不敵な面構えのアイアランド人たちが、並んだ。
ブリテン軍によって、アイアランド人部隊は武装解除され捕虜となったが、即時の軍事法廷によって、彼らは反逆罪を犯した「政治犯」となった。
そこにブリテン政府特務機関(情報局)の幹部たちが急派されて、捕虜たちに罵声のような尋問を浴びせながら、この蜂起の首謀者・組織者を特定し、捕虜の隊列から引きずり出していった。
首謀者たちは、略式ともいえないような即決裁判によって、銃殺刑を言い渡された。軍はただちに銃殺隊を編成して、首謀者1人ひとりを「処刑場」の壁面に立たせて銃弾の雨を浴びせた。負傷して立てない者は、椅子に縛りつけて銃殺した。
捕虜うちほかのメンバーは、ベルファストやイングランド、ウェイルズなど各地の刑務所に送られていった。そのうちには、物語の主な登場人物である、マイケル・コリンズ、ハリー・ボウランド、イーモン・デヴァレラがいた。
イーモン・デヴァレラは、彼らが宣言した「アイアランド共和国」の大統領で、蜂起の首謀者の1人だったが、ボストン生まれのアメリカ育ちで、合衆国市民権=国籍を保有していたため、死刑を免れて懲役刑に処されることになった。