これは、1916年から1922年までのアイアランド独立運動の経過と独立運動の闘士マイケル・コリンズの苦悩を描いた物語だ。
1916年、アイアランド独立派はブリテン軍に闘争を挑んでみじめな敗北を喫した。ブリテン政府は軍の諜報機関を駆使して独立運動家たちの動きを監視し、抵抗闘争の機会を奪い取ろうとしていた。
それまでの闘争に限界を感じたマイケル・コリンズの同志デヴァレラは、アメリカに渡って独立闘争の国際的支援のネットワークを組織しようとしたが挫折した。
彼は帰国すると、ダブリンのブリテン総督府へのIRAの「総攻撃」を命令した。「名目だけ」で成功の見込みのない無謀な攻撃だった。
だが、ブリテン政府は――政府財政の危機と世論の分裂のなかで――泥沼化したアイアランド戦争からの脱出を求めていた。講和締結のための交渉が始まった。アイアランド側の交渉使節の代表はマイケルになった。
ところが当時、いまだ広大な植民地世界帝国を擁している世界で最強の国家との交渉は、困難を極めた。マイケルは、暴力の連鎖を断ち切るため、仕方なく制限主権の自治権を選択した。
この厳しい制約をともなった独立(自治権獲得)については、それまでと同じ戦線を担ってきた独立闘争運動組織のなかから強い不満と憤りを呼び起こした。マイケルは、それまでの同志たちとの武力闘争を強いられることになった。
18世紀以降のアイアランド=イングランド関係史をごく大雑把に考察する。この記事は、映画「マイケル・コリンズ」の物語を見るための予備的考察である。
ブリテンによるアイアランドの侵略と支配、抑圧の歴史については、12世紀から17世紀末ないし18世紀初頭までの動きを『黒の暗殺者』のなかの節「アイアランド史への視座」で見ておいた。
だが、20世紀のアイアランド独立闘争の直接の原因や背景についてまでは、跡づけることができなかった。それを知るためには、むしろその後の歴史の経過を探らなければならない。
そこで、映画『マイケル・コリンズ』の物語を理解するために必要な限りで、ここで、20世紀はじめまでのアイアランド紛争の歴史を見ておくことにする。