デヴァレラは、マイケルからのこのメッセイジを受け取ったようだ。そして、どこかで休戦交渉を試みようと検討したようだ。
ところが、デヴァレラとマイケルとのやり取りは、IRA反乱派の若者を仲介としておこなわれた。その若者たちのグループは、激情にまかせた敵愾心や功名心に駆られていた。「裏切り者の自治政府を倒せ!」というスローガンに酔っていた。そこで、おそらくはデヴァレラに事実を報告せずに、マイケルに勝手に休戦交渉の日時と場所を提案した。
そこにマイケルを呼び寄せて暗殺しようと狙っていた。
マンスター州ウェスト・コーク郡のある町(マイケルの故郷のヴィレッジ)にマイケルをおびき寄せたのだ。そして、通過する道筋に奇襲部隊を配置した。
マイケルは「一刻も早く休戦を」と焦っていたので、側近たちの警告を無視して、小人数の手薄な警護をともなって予定地に赴いた。
マイケル一行の車列が丘陵の下を走るカーヴを曲がろうと速度を落としたとき、待ち伏せ部隊の一斉射撃は始まった。マイケルは頭部を撃ち抜かれて即死した。
マイケルの死の報せは、その日の夕方、婚約者のキティ・キーアナンに伝えられた。悲しみをこらえるキティ。
続くシーンは、マイケル・コリンズの葬儀風景。
そして、この事件から40年以上のち、イーモン・デヴァレラがマイケルを追悼して捧げた言葉がエンディングシーンを締め括る。
「マイケル・コリンズの偉大さは歴史が書きとどめるであろう。その偉大さは、私自身の努力によって、永遠に刻印される」
映画作品は、物語を面白くするために、事実や人物などをかなり脚色している。そのために、かえってマイケル・コリンズの実像と彼をめぐる人びとの関係や動きが見えにくくなっている。そこで、最後に、マイケルの人物像と出来事の実際の経緯――私にわかる範囲での断片――を簡単に見ておこう。
まず最初に、アイアランド会議におけるマイケルの立場について。
映画では、彼は軍事部門の責任者=長ということになっているが、彼は財務担当閣僚だった。個々の軍事作戦については、ほとんどタッチせずに、しかし、IRAが必要なときに必要な場所で作戦行動できるように資金と人員、兵器を確実に手配する才覚を持っていた。財務と組織運営、経営に絶妙の力を発揮したオルガナイザーだった。
そのため、IRAの情報部門( intelligence devision )の育成と運営を指揮していた。だから、軍事担当閣僚の指揮に従っていた。
とはいえ、情報戦と資金調達、組織運営を担当するということは、軍の活動の実務の死活的部分を仕切っていたということもできる。ブリテン側から見ると、IRAの本当の黒幕は、マイケルだということになったのだろうか。
それに、ブリテンでは、王の顧問官会議――王の執務室に参集する閣僚団の会議なので、やがて「内閣」と呼ばれることになる――の首席閣僚は、長らく、財政担当閣僚( Minister of Treasury or Fonance )だったという伝統=歴史から、組織の本当の長は財務担当者だという評価があったのかもしれない。
だが、彼は直接には戦闘にコミットしなかった。
次に、1921年のブリテンとの講和交渉使節で、彼は代表=長ではなかった。
派遣された交渉使節団は、アーサー・グリフィスによって統率されていた。マイケル・コリンズは、グリフィスの代理=首席補佐官だった。とはいえ、それは形式上の地位であって、そこで交渉の実務の担い手は、マイケルだったかもしれない。
この交渉の問題のひとつは、アイアランド側が秩序だった組織体系を備えていなかったことだった。何より、アイアランド暫定政府の構成が流動的で、政府の権威はアーサー・グリフィスによって象徴されていて、イーモン・デヴァレラが必ずしも政府の長ではなかった。
そもそもシン・フェイン党事態が、独立革命についてそれぞれ異なった理想=構造を抱いている多様な諸分派の集合体だった。にもかかわらず、交渉にさいして内部での方針や意思の統一がはかられていなかった。
そして、講和交渉使節団が、委任代表――重要事項の決定にさいしてはアイアランド共和派政権の判断を仰ぐ義務がある代表――でしかないのか、それとも全権代表なのかについて、明確な判断や決定がなされなかった。