この物語には、いわゆる英雄としての「ヒーロー」はいない。主人公は英雄ではない。
主人公の放浪者は、本来の自分の意思にはかかわりなく、ただ「その日の食糧」ほしさに「合州国が再建されつつあり郵便システムが復活した」という大法螺をでっちあげた。だが、その「虚偽の神話」は独り歩きし、社会形成の運動となり、やがて本人自身が広範な社会運動の波頭に立たざるをえなくなっていく。
「合州国再建の神話」は、人びとの意識と行動を徐々に変え、多数の住民共同体の連帯と強力をめざす運動を引き起こす。神話が国家を生み出していくことになった。
放浪者が語り始めた「作り話」は、じつは圧倒的多数の人びとの願望や要求――ただし、はじめのうち人びとはその実現の可能性を信じていなかった――を反映し、集約する内容・方向性をもっていたわけだ。
1人の男が荒廃した北アメリカ世界を放浪していた。主人公には名前がない。彼は食糧を得るため以外には人間社会に入り込むことはなく、人間関係から遠く距離を置いて生き延びてきた。だから、名前はなかった。
民衆とのかかわり合いを避けていたが、その日の糧を得るために、あちこちの集落に立ち寄っては、いい加減な「シェイクスピア戯曲」の独り芝居を演じているらしい。それでも、物乞いとしてただ憐みを乞うて食糧を得るのではなく、ひとり芝居というサーヴィスを提供して食糧を受け取るのだから、最低限の矜持はあるようだ。
あるいは、極限状況で生き延びる人類にとっては、食糧事情はきわめて厳しく、「物乞い」としては生存を認められないのかもしれない。
この世界では、文化や文明が崩壊していて、芸術や書物などの娯楽・教養のかけらも消え去っているようだ。だから、台詞もうろ覚えのシェイクスピア戯曲の「上演」でも、人びとは食い入るように、その放浪者のパフォーマンスを見つめている。そして、何とかその日の食事にありつけるのだ。
だが、その日は運が悪かった。
人びとから「ホルニスト(ホルン主義者)」と呼ばれて恐れられている、武装集団( army )が、権力の誇示と税の取立てための巡回にやってきたのだ。貧しいこの集落は、十分な税=貢ぎ物を納めることができなかったので、ホルニストの下級兵士となる男3人を差し出さなければならなくなった。
放浪者は逃げ出そうとしたが、軍団の首領、ベトゥリヘムに見つかり、その3人のうちの1人として選ばれてしまった。