ポストマン 目次
原題について
あらすじと見どころ
破局後の世界
ヒーローなき物語
放浪者
ホルニスト軍団
ポストマン
パインヴュウ
幻想と希望と
ヘニングズの悲劇
蒔いたタネは育つ
ホルニストとの闘争
ブリッジシティ
決   戦
市民兵の結集
力関係の転換
ポストマンの記念碑
国家または国民の再建…
軍事的支配を最優先する立場
ミュニケイションを最優先する立場
ヨーロッパの国家形成史
「再建されたUSA」
「国」とか「国民」を考える
「一国史」「各国史」の欺瞞性
日本の国家形成
利害の取引き関係としての国家

日本の国家形成

  ゆえに、「日本史」が成り立つのは、せいぜい17世紀以降だ。それ以前は、相互に内的な連関のない個々の地方の歴史の、バラバラの並存があるだけだった。ときおり、中央政権の遠征があって、特定の諸地方の社会と歴史に何ほどかの影響がおよぶことはあった。
  ただ、日本は、中国から受け継いだ「文字文明」による統治手法があって、かなりの遠隔地から貢租や賦課、税を納入させる仕組みが組織されていた。だが、列島規模の国家レジームが形成されていたわけではない。

  それが、15世紀半ばから、列島主要部において領主身分――守護大名やら戦国大名などによる――による軍事単位としての領国(領域国家)の形成が進展する。領国形成は、武将たちによる戦争をともなっていた。やがて有力君侯を盟主とする領主たちの同盟のあいだでの覇権闘争が展開する。「天下統一」すなわち国家形成への動きだ。
  いくつかの有力王権ができ上がりかけたが、「絶対王政」にも似た、国民的規模でのレジームの間際まで到達したのは、徳川家とそれを支える領主同盟の王権だった。ようやく、日本国らしい国家の枠組み・萌芽が出現した。
  そこで存在したのは萌芽だけで、国民国家という独特の政治的・軍事的単位ができ上がるのは明治維新以降だ。


  事情は、ヨーロッパでも似ていた。
  たとえば、実体としての「フランス史」は、17世紀よりも前には存在しなかった。厳密に言えば、フランス革命――ナポレオン戦争の時代までを含む時期――によってはじめて「フランス」が出現した。

  15世紀には、フランス王国の名目的版図は、ピレネー山脈の彼方、イベリア半島の東部にまでおよんでいた。カタルーニャ(カタローニュ)伯領やアラゴン公領、ナバーラ(ナヴァール)公領の君侯たちも、フランス王権に名目上の臣従を誓約していた。
  だが、フランスの西半分が、イングランド王(プランタジュネット家)を兼務するアンジュー伯=ノルマンディ公の家門(と諸侯同盟)によって、征圧されている時期も長かった。パリの王、ヴァロワ家の威信は崩壊し、ついにパリを追われることさえあった。
  東部では、ブルゴーニュ公が統治する広大な圏域が独自の王国をつくり上げていて、名目上は、「ドイツ(テュートン)人の神聖ローマ帝国」の有力君侯に列せられていた。
  フランスの南部のローヌ河流域から以東は、たとえばプロヴァンスやドーフィネ地方は、北イタリアや地中海世界に属していた。巨大な商業都市リヨンもパリとその王権には強く対抗し、ジェノヴァの商業資本・金融業者たちと結託していた。

  しかも、それらの分立圏域の内部ですら、いまだ多数の中下級の領主圏や所領、諸都市がそれぞれ自立的な政治体=軍事単位として行動していた。そのうえ、フランスは数百にもおよぶ関税圏に分断されていた。
  現在のフランスに比すべき社会的構築物はどこにもなかった。
  そこでも、フランス史は、19世紀以降の、近代国民国家による教育科学政策と国家イデオロギーないしはナショナリズム運動の産物だった。

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