ところで、クレイトンはシュタインバーグ法律事務所のジュニアパートナーらしい(シュタインバーグとは、いかにもドイツ系ないし東欧系ユダヤ人らしい名前ではないか)。彼は今、イタリア系マフィアのカーポ(地区ファミリーのボス)の1人、ピンテーロが経営しているレストランチェーンの労使紛争(そして、これに絡んだ暴力事件)を担当していた。
ピンテーロは現在、仮釈放の身だ。ファミリー系列下にある労働組合(レストランや娯楽産業の従業員で結成)に暴力的に介入して、組合活動を侵害したことで有罪となり、先頃まで刑務所に収容されていた。だが、保釈金として大金を積んで、ようやく娑婆に出てきたのだ。
ところが彼は、労働条件(給与や待遇、労働時間など)をめぐって対立しているレストランの従業員の顔を殴って顎の骨を砕いてしまった。この従業員は仲間たちとともに、ピンテーロをはじめとする経営陣を組合活動妨害と不当労働行為で訴え、損害賠償としかるべき労働協約の締結(労働条件の改善)を求めていた。
組合側の法定代理人がシュタインバーグ法律事務所で、担当がクレイトンだった。
だが、マフィア=暴力組織のボスを相手にした交渉は難航していた。組合と従業員の要求を真っ向から突っぱねていた。
そこで、クレイトンは裏技を使うことにした。違法だが、相手を交渉のテイブルに引き出すために、盗撮のプロと契約して、ピンテーロの弱みとなる事実を映像にとらえるように手配した。
クレイトンが契約したプロは、「ブリル(魚のヒラメ)」というコードネイムで呼ばれていた。海底の砂に身を隠すヒラメのように、誰にも正体を知られていないない盗撮専門家だった。彼へのコンタクトを仲介しているのは、レイチェル・バンクスという女性で、クレイトンのロースクール時代の恋人だった。
その夜、クレイトンは市街のレストランでレイチェルと食事をともにして、仕事の打ち合わせをした。そして、かなりの料金と引き換えにヴィデオテイプを受け取った。
翌日、クレイトンはピンテーロが居座る社交クラブに出向いて、交渉の続きを求めた。「たとえマフィアであろうと、市民社会でビズネスをするなら、市民社会の規範に従え」と。無視するピンテーロに対して、クレイトンは(クラブのテレヴィモニターを使って)テイプの映像を見せた。
映像には、ピンテーロが息のかかった労働組合幹部とバーベキュウ・パーティを開き、酒を酌み交わしているシーンがとらえられていた。
ところが、ピンテーロの仮釈放の条件は、裁判で有罪とされた「労働組合への介入、幹部との接触」を今後一切しないというものだった。すると、この映像が司法当局に渡されれば、ピンテーロの仮釈放は取り消されたうえに、刑期は加重されて、もはやマフィアのカーポの座から追い落とされることは目に見えていた。
「あの場面にいるのは、俺じゃあねえ」とシラを切ったものの、ピンテーロは追い詰められていた。「いいだろう、労働協約は結んでやろう。だが、あの映像を撮影したヤツの名前を教えろ。さもないと、来週、お前の命を奪ってやる」と息巻いた。
こうして、クライアントの要求は通りあその権利は擁護されたが、今度は、クレイトン自身の身が危なくなってしまった。
それにしても、「高度情報化社会」のアメリカである。労働者の権利を擁護するためにも、盗聴・盗撮が活用されるのだ。
一方では、枢要な国家装置=NSAが「レジームを守る」という名目で、市民社会を徹底的に監視し、盗撮・盗聴をやり放題したがる。他方では、市民派の弁護士が、社会的に弱い立場の市民を守るために、これまた盗撮情報を活用する。
そしてクレイトン弁護士を挟む格好で、一方に中央国家装置のNSA、他方にマフィア・ファミリー。一方は合法的に物理的・心理的暴力の独占を追求している組織。他方に、非合法の組織化暴力。対極的な2つの暴力装置が登場している。
何と鮮やかなコントラストではないか。