アンダーウェアだけになったクレイトン。靴も捨てた。こうして発信機や盗聴器を除去したクレイトンは、NSAの追跡網から当面は逃れることができた。とはいえ、仕事や家族、従来の生活は失われたままだ。
クレイトンは自宅の物置に隠れて、翌朝にゴミ捨てに来るはずの妻カーラを待った。妻に会うと、彼はNSAに追われていることを告げた。そして、姿を隠したまま息子のエリックに会う算段を相談した。
というのは、エリックへのプレゼント、コンピュータゲイム機に(ハマーズリー議員殺害の)映像デイタのコピーMCDが取り付けられているだろうからだ。窮地から脱するためには、その映像を手に入れなければならないのだ。
だが、ディーン家(クレイトンの自宅)の周囲にはNSA要員が監視網を築き上げ、しかも監視衛星が宇宙空間からディーン家の近隣一帯を監視映像に取り込んでいる。クレイトンは上空からの監視の目を逃れ、しかも地上の監視の目からも逃れて行動しなければならない。
というわけで、クレイトン・ディーン家に通ってくる家政婦の車にクレイトンが隠れて、通学途中のエリックに会い、ゲイム機を受け取ることにした。家政婦の車は小学校の直前でエリック(と友だち)に追いついた。そして、車にに乗せたエリックたちからゲイム機を受け取った。ゲイム機にはゲイムソフトの変わりに、映像MCDが挿入されていた。
この映像を材料にしてブリルに助けを求めることにした。
ブリルの本名は、エドワード・ライル。以前はNSAのエイジェントだった。
ブリルは大学卒業後に陸軍に入り、情報技術開発や国際情報の解析に携わった。
1978年からはイランや中央アジアで、対ソ連作戦に必要なゲリラやイスラム戦士養成に関与した。ところが、イラン革命のなかで革命防衛隊に拘束され、どうにか脱出した。だが、親友でもあった同僚は殺されてしまった。
その同僚の娘がレイチェルだ。ライルは、親友の娘を養育した。
ライルは優秀なエンジニア(情報通信アナリスト)で、やがてNSAの国際通信の盗聴監視システムの開発や情報解析の担当になった。宇宙衛星による監視システムの設計開発を手がけることになった。だが、このシステムは「自由を守る」という名目のもとに、市民の自由を抑圧し破壊する仕組みにほかならなかった。
NSAはこのシステム開発の機密を守るために、内部のエンジニアも統制監視するようになった。ライルは、身の危険を感じるようになり、一種のパラノイアになった。そして、いつしかNSAから身を隠した。
ところが、ライル=ブリルは偏執的な「個人主義者」で、自分1人とレイチェルだけが「国家の監視と抑圧の手」から逃れられればいいという発想だった。だから、自分の経験や知識を、市民的自由を擁護するための運動や組織と連帯しようとは思わなかった。
彼が守ろうと思ったのは、要するに自分だけであって、自分が1人の市民として自由に行動できる市民社会やレジームではなかった。
この人物設定は実に奇妙である。NSAをはじめとする国家装置は、彼が1人で挑むことができるような相手ではない。ひたすら身を隠し、逃げるしかない。だが、生きるための糧を得るために、(NSAで身につけた技術で)盗撮や盗聴をしていた。裏情報を顧客に高く売りつけるのだ。徹底的に物陰に身を潜め続けるのだ。
おそらく、市民社会の住民たちは、強大な国家装置の前には、受け身で、ひたすら政府機関やメディアから与えられる情報や価値観によって操作され、踊らされる存在でしかない、と割り切っているのか。その見方は、《ことの半分は》的を得ている。