ターミナル 目次
「国家と国家」の隙間の落とし穴
原題について
見どころ
あらすじ
クラコウジアからの旅客
東欧市民の《生きる力》
人びととの出会い
美女のフライトアテンダント
恋の橋渡し
ヴィクトルの旅行の目的
がんばれ! ヴィクトル
「国家と国家の法」の呪縛
国家権力の作用の法的問題
国家主権と市民権
国家と市民は対峙し合うもの
「市民と国家」の関係
リヴァイアサン
国家的統合と市民権
国家と市民との妥協としての社会契約
人権を取り巻く政治的=軍事的環境
ヴィクトルの大らかさと勇気
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ヴィクトルの旅行の目的

  さて、航空搭乗員のアメリアは、国務省の高官との「報われない恋愛」に苦悩する日々を送っていました。そんな折、出勤やトランジットの途中でときどきJFK空港ターミナルで出会うヴィクトルの大らかさと慎ましやかさに好意を抱くようになりました。
  あるとき、アメリアはヴィクトルをニュウヨーク中心街の高級レストランでの食事(デイト)に誘いましが、ヴィクトルは「今はターミナルから出ることができない」と断ってしまいました。
  だが、ある日、ヴィクトルは意を決して自らアメリアを食事に誘いました。ただし、ターミナルビルのなかで、ということで。
  ヴィクトルは食卓を挟んでアメリアに自分の今の身の上を正直に打ち明けました。

  ヴィクトルがニュウヨーク行きの航空便に乗り空の旅に出た後、母国クラコウジアでクーデタ政変が起きて、クラコウジアとアメリカとの外交関係が断絶してしまった。そのためヴィクトルとしては、アメリカと国交関係を持つ国の市民権を失ってしまった。それは、アメリカが彼の入国を認める上で不可欠の条件となるから、入国を拒絶されたままになっている。しかも本国への送還もままならない、と。

  アメリアは事情を理解し、ヴィクトルにニュウヨーク訪問の目的を尋ねました。
  ヴィクトルは、大事そうにしていたカフェの空き缶のなかから1枚の写真を取り出しました。
  「ハーレムの最高の1日( A Great Day in Harlem )」と題する写真で、ハンガリーの新聞が1958年に記事とともに掲載した写真でした。
  1958年の夏のある日の朝、ニュウヨーク市の5番街とマディスン・アヴェニュウとのあいだにある126番街に集合した57人のジャズ演奏者が映っている写真です。
  彼らは、人種や肌の色の区別なく街頭でスーパーセッションをするために集まったジャズ演奏者たちで、このスーパーセッションはジャズ音楽史で最も重要な事件の1つだといいます。

  ヴィクトルの亡き父親はジャズの熱烈な愛好家で、ハンガリーの新聞記事でこの画期的な事件を知り、「ハーレムの偉大な1日」の参加者全員のポートレイト写真( autograph )を集めることにしたのです。セッション演奏者に手紙を送ったり、お金ができたときにはアメリカに旅行したりして、本人のサイン入りのポートレイトを手に入れました。そして、死ぬまでに56人分の写真を蒐集しました。
 &nbspところが、最後の1人の写真を手に入れる前に病死してしまったのです。
  ヴィクトルは愛する父親の遺志を受け継ぎました。このたび、残された最後の1人のポートレイトを手に入れようとしてニュウヨ−クにやって来たのです。


  最後の1人とは、テナーサクス奏者のベニー・ゴルスン。今でもニュウヨークで活躍しているということです。
  最近、ベニーはホテルのレストラン「ラマダ・イン」のステイジをホームグラウンドにして演奏していると聞いて、ヴィクトルはニュウヨークに旅してきたのです。ヴィクトルとしては、ベニー・ゴルスンのサイン入り写真を持ち帰ることがアメリカへの旅の目的だったのです。
  東欧のクラコウジアはアメリカに比べれば貧しい国です。けれども、ヴィクトルは生まれ故郷に強い愛着を感じていて、これからもそこに暮らし続けるつもりだった。
  だから、問題なく帰国できるように入国規制にしたがってきたのです。

  ところが、連邦国務省という官僚社会で巧みに世渡りしている入国管理官フランク・ディクスンからすれば、ヴィクトルの行動がまったく理解できません。
  貧しくて借金だらけ、しかもときたま深刻な政変が起きる政情不安定な東欧の小国クラコウジアなんかに戻らずに、ニュウヨークの街に抜け出てしまえばいいのに、なんでヴィクトルはおとなしく無為無策にターミナルビルに閉じ込められたままでいるのか、は大きな疑問でした。
  フランクは、目障りなヴィクトルに空港ビルから出ていってもらうために、亡命者としての手続きをしてやってもいいと思っていました。
  ヴィクトルが一言「亡命したい」と言えば、フランクは喜んでヴィクトルに難民申請の手続きをおこなわせて手厚く保護し、アメリカでの生活を送るための支援手続きを踏んだでしょう。

  ところが、ヴィクトルは「国を、故郷での暮らしを愛している。亡命する意思はない」と答えて、フランクに頭を抱えさせました。
  豊かなアメリカ人――そこそこのキャリア官僚――から見て、アメリカよりも貧しく「劣っている」と見える国でも、多くの人びとはささやかな幸せや満足を感じて暮らしているのです。もちろん悩みや不満も抱えているでしょうが、家族や隣人に囲まれた、そういう日常生活を大切にし愛着を抱いているのです。
  それでもたまさかには、そんな日常生活を脱して「大きな目的」のためにに外国に旅することもあります――ジャズ奏者のサイン入り写真を手に入れるためにニュウヨークに来たヴィクトルのように。そして、そんな「特別な旅」を終えたのちには、ふたたび日常性――故郷での暮らし――に戻っていくのです。上昇志向で(チャンスを得るために国を出て)出世しようとか、もっと多くの収入を得ようとか、もっと贅沢な生活を手に入れようという欲望がないのです。

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