ターミナル 目次
「国家と国家」の隙間の落とし穴
原題について
見どころ
あらすじ
クラコウジアからの旅客
東欧市民の《生きる力》
人びととの出会い
美女のフライトアテンダント
恋の橋渡し
ヴィクトルの旅行の目的
がんばれ! ヴィクトル
「国家と国家の法」の呪縛
国家権力の作用の法的問題
国家主権と市民権
国家と市民は対峙し合うもの
「市民と国家」の関係
リヴァイアサン
国家的統合と市民権
国家と市民との妥協としての社会契約
人権を取り巻く政治的=軍事的環境
ヴィクトルの大らかさと勇気
『ニュウヨークの英国人』
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■ヴィクトルの大らかさと勇気■

  ことほどさように、市民権や人権というものが結局のところ国民国家――具体的には国家装置としての政府組織――によって総括され、制約されているのです。それゆえ、諸国家の境界間の隙間に陥ったときには、苦難に直面することにもなります。そういう重苦しい現実のなかで、私たちは生き続けなければならないのです。だから、排他的な国民意識ナショナリズムなどから離れて、何かしらの自分らしさやアイデンティティを求めながら、そしてローカルな愛着を保ちつつ、つつましく大らかに、だがしたたかに、しぶとく生き延びなければならなりません。
  その点、この作品の主人公ヴィクトルの生き方はじつに参考になりますね。映画が描く世界に戻りましょう。

  映画『ターミナル』は、国家とか国籍とかいう障壁で分断され、経済や文化の大きな格差がある現代世界の状況を背景にしています。そういう分断や格差のギャップに偶然に落ち込んでしまったヴィクトルという人物の心性と行動を描いています。ヨーロッパの辺境の国から来た旅人が「経済的超大国アメリカ」の政治的・文化的障壁に出会う物語なのです。
  ヴィクトルの故郷の国名が「クラコウジア」というのは意味深長です。
  聞いただけで、政情不安定な東欧地域の国だとわかります。というのも、ポーランドの王都だったこともある大都市、クラコウ(クラカウ)をもじったような名称だからです。
  ヴィクトルは「貧しい東欧」から来た旅人なのです――合衆国の当局者から見れば。

  ポーランドと言えば、つい先頃、ブリテンの国民投票でブリテンのEU離脱が決定された状況のなかで、ポーランドからブリテンに移住した人びとに対してブリテンの偏狭なナショナリズムの執拗さを思い知らしめることになって、大きな衝撃を与えたようです。要するに、彼らが多くのイングランド人たちによって「ブリテンの雇用機会や社会保障費を奪っているよそ者」だと見られているという現実に打ちのめされたのです。
  一方で、ポーランドの現政権は言論・報道の自由や市民権の制限などを強め、圧制に傾倒しているようです。

  というようなしだいで、合衆国の中流以上の階層から見れば、東欧諸国はわずか30年ほど前にソ連の統制と共産党の独裁からから自立したばかりで、政情が不安定で民主主義もまだ定着していなくて、経済的には貧しい国というなのでしょう。そういう貧しい辺境の「定番」のようなクラコウジアという国名を付けたことで、ヴィクトルがそれだけで、アメリカ人の色眼鏡によって何らかの烙印を押されてしまう。そんな状況設定なのです。
  アメリカ人――たとえば国務省の役人フランク――から見れば、貧しく政府の存続すらおぼつかない不安定な国なんか見捨てて、何かの理由を見つくろって亡命なり難民の申請をして逃げ出して、アメリカに移住したっていいじゃないか、ということになるのでしょう。フランクは、空港ビルに閉じ込められたままの「窮状」からヴィクトルを救い出そうとして、亡命申請や難民申請の手続きをとらせようとしました。

  けれどもヴィクトルは、その「貧しい故郷」でのつつましやかな日常生活や風土、隣人や仲間たちにこよなく愛着を感じています。素朴な「故郷」「郷土」への愛着です。アメリカより貧しくても、そこでの「自分らしい生活」(家族やコミュニティ)は帰る価値のあるものなのです。何も「愛国心」やら「国益」などを肩肘張って言い張っているわけではありません。素朴な愛着とアイデンティティなのです。
  そして、ヴィクトルのアメリカへの旅行の目的は、金儲けや物見遊山ではありません。慕っている亡き父親と自分の音楽趣味のために、ベニー・ゴルスンのサインつきポートレイトを手に入れるという「ささやかな楽しみ」のためにニュウヨークを訪れただけなのです。
  とはいえ、慎ましい東欧市民にとっては「空の旅」はかなりの贅沢なのでしょう。
  でも、空港ビルのなかでも、ヴィクトルは「一旗あげる(大儲けする)チャンス」には目を向けません。とにかく旅行の目的を達するまで生き延びるための生活費を稼ぐだけです。
  アメリカに入国できない――ターミナルから出られないという厳しい環境のなかで、マイペイスで生き延びるニッチを見つけて生き延びようとするのです。その場合も、大らかで肩肘張っていないし、卑屈さも悲壮感もないのです。
  まさに、東欧社会で地に足をつけて腹を括って生き続けてきた庶民のしたたかさです。そして、国籍とか帰属する国の豊かさや貧しさにとかに目を奪われない「人間の品位」「品格」こそ大切なものなのだというメッセイジがあります。
  たかがフィクションですが、この人物像には感心するし、頭を下げたくなります。学ぶことが多い物語です。

  空港構内でヴィクトルと「ご近所づきあい」することになった移民たちの多くは、故郷では生き続ける余地がなく、故国の悲惨な現実から逃れ生き延びる余地を手に入れるためにアメリカにやって来た人びとです。戻るべき故郷・祖国があるヴィクトルとは対照的です。彼らは報酬や労働条件にも恵まれない下積み仕事に真剣に取り組んでいます。非常に慎ましい生活を送っています。
  それらの描写もまた「豊かなアメリカ」という存在を相対化し、国境や国籍という障壁によって人びとを分断し、格差を固定化する現代世界の仕組みを突き放して見つめるきっかけになっています。

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