ターミナル 目次
「国家と国家」の隙間の落とし穴
原題について
見どころ
あらすじ
クラコウジアからの旅客
東欧市民の《生きる力》
人びととの出会い
美女のフライトアテンダント
恋の橋渡し
ヴィクトルの旅行の目的
がんばれ! ヴィクトル
「国家と国家の法」の呪縛
国家権力の作用の法的問題
国家主権と市民権
国家と市民は対峙し合うもの
「市民と国家」の関係
リヴァイアサン
国家的統合と市民権
国家と市民との妥協としての社会契約
人権を取り巻く政治的=軍事的環境
ヴィクトルの大らかさと勇気
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サンジャックへの道
阿弥陀堂だより
アバウト・ア・ボーイ
のどかな信州の旅だより
信州まちあるき

■国家権力の作用の法的問題■

  市民権などの「市民社会の法」というものは、国家権力の作用と不可分に結びついているのです。そういう事態を如実に示すのが、刑事司法をめぐる法制度です。犯罪の捜査や容疑者の捕縛・訴追や裁判、刑罰は、法理上、市民社会が国家装置に委ねたとされる権限だからです。

  大学の法科に入学すると、さまざまなオリエンテイションが待っています。
  「法学」「法律学」は、学問のなかでも最も退屈で面白みのない分野の1つです。さしたる意味をもたないような事実や行動をつつき回して、それを法観念上の「文言」や専門用語に置き換えて、ややこしい論理をひねり回して、人びとを煙に巻き、「事件」や「財産関係」や「身分関係」を処理してしまうのです。
  だから、世の人は法律家を「三百代言人」と蔑称するのです。
  専門用語と論理によって詭弁を弄し、人びとを煙に巻く、というわけです。
  そのなかでも、「国家と国家とのあいだの法」の領域はとりわけてひどいのです。排他的に組織された政治組織(自己完結的な法制度)どうしのあいだの関係だからです。排他的な境界線のあいだの隙間にある問題なのです。
  たとえば、法学部の刑法専門の教授はゼミの開始時とか新入生のオリエンテイションで、こんな七面倒な話をすることになります――面倒な話なので、読み飛ばしてもらっていいです。いわく・・・

  A国籍の航空会社の航空機内でB国人がC国人によって手荷物を盗まれ、その事件がD国の空港着陸時に発覚したとします。では、この事件はどこの国の司法当局によって捜査され裁かれることになるのでしょうか。
  これは司法管轄権( jurisdiction )の問題です。司法管轄権とは、犯罪捜査とか裁判とか刑罰などをめぐって国家権力=国家主権がおよぶ法的な範囲を意味し、この場合、犯罪事件の刑事法上の捜査や裁判をおこなう権限として現れています。つまり、どこの国がこの盗難事件の捜査と裁判をおこなうことができるかという問題です。
  で、選択肢は、
@航空会社の財産権・経営権・運行管理権がおよぶ空間で事件が起きたので、 A国が司法管轄権を持つ。
A犯罪の被害者がB国人なので、B国が司法管轄権を持つ。
B犯罪容疑者がC国人なので、 C国が司法管轄権を持つ。
C事件の発見・発覚した場所がD国内なので、D国が司法管轄権を持つ。
……この4つのうちどれでしょうか。

  バカみたいで頭が痛くなる問題ですね。
  上に述べたような問題をめぐっては。次のような法的論理がはたらいています。

@各国家は、自国―― its own nation ――に帰属する個人および法人の身体・生命・財産やその行動(たとえば取引行為や犯罪など)に関することがらについて司法権をもつ。
A各国家は自国の領土・領海・領空内で生じた事件について司法権をもつ。
  この2つの論理を当てはめると、次の4通りの判断が成り立つことになります。
  (a) @の論理ゆえに、A国は自国の法人である航空会社の航空機内の空間で起きた事件について刑事司法権をもつ。
  (b) @の論理ゆえに、B国は自国市民の財産権が侵害された事件について刑事司法権をもつ。
  (c) @の論理ゆえに、C国は自国市民が犯罪行為の容疑者である事件について刑事司法権をもつ。
  (d) Aの論理ゆえに、D国は自国内で発覚した事件について刑事司法権をもつ。

  こうして、上記の4か国はそれぞれ事件に関する捜査や裁判の権利を主張することになるわけです。

  実務的には、4か国がすべてインターポール加盟国なら刑事司法上の取り決めなどにしたがって、この場合に最も適切な扱いを決めることになります。そうでなければ、国際航空法の取り決めで、それでも揉めたら4国間の司法当局間の調整で、という具合になる。

◆擬制としての国家主権とその限界◆
  こんな面倒くさい話を枕に振ったのは、とかく外交関係では、国家の主権やら相互の協定やらが絡み合って、この映画の話みたいに面倒なことになる、という事例の1つとしてです。
  経済的・文化的なグローバリゼイションがどれほど進んでも、法の世界では、この地球は「自己完結的な法体系と司法管轄権を備えた多数の国家の寄せ集め」でしかない、という人類の知恵の限界を思い知らされるのです。
  とりわけ、エアターミナルの「発着場〜税関〜入国検査(VISA発給)」という一連の手続きがおこなわれる空間は、個別の国家という単位で編成されている法体系どうしの間のギャップになっているのです。とりわけ市民権( citizenship )については、ぽっかり空いた落とし穴になっているのです。

  ある市民が自分の国家の領土(領空・領海)から別の国家の領土(領空・領海)に移動する間にトラブルが発生したという場合に、市民権のギャップが生じるのです。つまり、自分の市民権を保障してくれる政治空間(国籍が属する場所)から抜け出てしまうので、別の国家のコントロールのもとに置かれる場合の問題ということです。
  外国の空港で入国手続きをおこなう空間=場所は、そこで自分の市民権に関して自分が帰属する国家による保護や規制がもはやおよばなくなって、外国国家の統制がおよび始める「節目」「境界」なのだ。
  そこでは、「国家や政府という存在よりも前にあるべき普遍的な人権や自由」を言い立てても、何の説得力も持ちません。

  諸国家が相互に主権の作用範囲とその限界を認め合い調整し合うという法的慣例は、13世紀から18世紀まで、ヨーロッパ各地の有力諸都市や諸王権が国家形成をめぐって競い合い、その主権(統治権力)のおよぶ範囲をできるだけ拡大しようとして争う過程のなかで、勢力の平衡と相対的な平和をもたらすために見出された妥協策であり、擬制なのです。
  そういう政治的・法的文化圏に属する諸国家は、その慣例を国際法―― the law of nations 諸国民に妥当する法――として尊重するようになっています。もちろん、諸国家の対立が昂じて戦争という非常事態になれば、剥き出しの力の対決が表に出てくるのですが。しかし、講和の後には戦争の勝利者側の裁定で、彼らに有利なように国際法的慣例が復元されることになります。
  それは、世界経済においては、そのときどきで最優位に立つ国家ないし国家群、つまりヘゲモニー国家とその同盟諸国家の利害を優先するように国際法的慣例が変容・修正されるということを意味します。戦後の日本やドイツの占領政策やその後の改革をその例です。

  ですが、このような政治的・法的文化圏に属さない組織や政治体――たとえば現代のISIS(イスラム原理主義国家)のような――には、このような国際法的慣例は通用しません。その場合には、ヘゲモニー国家とその同盟諸国家が実力を行使して敵対組織・政治体を封じ込めるしかないのです。

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