ターミナル 目次
「国家と国家」の隙間の落とし穴
原題について
見どころ
あらすじ
クラコウジアからの旅客
東欧市民の《生きる力》
人びととの出会い
美女のフライトアテンダント
恋の橋渡し
ヴィクトルの旅行の目的
がんばれ! ヴィクトル
「国家と国家の法」の呪縛
国家権力の作用の法的問題
国家主権と市民権
国家と市民は対峙し合うもの
「市民と国家」の関係
リヴァイアサン
国家的統合と市民権
国家と市民との妥協としての社会契約
人権を取り巻く政治的=軍事的環境
ヴィクトルの大らかさと勇気
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サンジャックへの道
阿弥陀堂だより
アバウト・ア・ボーイ
のどかな信州の旅だより
信州まちあるき

国家的統合と市民権

  私たち日本人は、幸運にも「民主主義的レジーム」のもとに暮らしながら、ふだん何気なく「市民社会」での生活を送っています。ところが、この市民社会は、国家レジーム、すなわち個別国民国家という政治的・軍事的単位の枠組みをつうじて組織化されています。国家装置が上から、外から秩序を押し付け規制して組織化するというばかりでなく、私たち自らもこの組織化に参加しているのです。加担しているというべきでしょうか。
  つまり「日本人である」「日本国民である」という意識――国民意識――をもち、国籍をもつこと、国籍をもつ市民であることの「ありがたみ」を多かれ少なかれ感じながら生活しています。そして、近隣の海洋権益をめぐる軍事活動における中国の「横暴さ」「傲岸さ」を伝える報道に強い懸念を抱き、非難がましい気分を抱いています。
  おそらくこのような意識や心性は、《ひとつの国民 a nation 》《ひとつの政治的な住民集合としての日本人 Japanese as a nation 》を外国のほかの国民から区分し、法制度的な差別を当然と感じるようにさせながら、日本国内での人びとの政治的結合のための紐帯として機能しているはずです。

  このような意識や心性をもたらす国民国家の仕組み(文化)はじつに巧妙です。ナショナリズムで包んだ政治参加や市民意識を私たちの意識や心性のなかに育成し、それが自然な心理状態(アイデンティティ)であるかのようにしています。
  公教育やマスメディア、言語など多様な装置をつうじて国民的市民ナショナル・シティズンないし「日本人」という意識や心理・心性が私たちの脳裏にインプリントされてしまっているのです。日本の社会のなかで生まれ育ち、公教育を受け、メディアから情報を受け取り、そのコミュニティのなかで暮らすうちに、そういう価値観・観念・イデオロギーが注ぎ込まれているのです。
  住民に市民権を認め保障するというレジームは、人びとに「国家のありがたみ」を感じさせながら、そういう自然発生的な――排他的とさえ言えるような――意識や観念を人びとの心のうちの育て上げるわけです。とはいえ、「国家のありがたみ」は、あながち幻想ではなく、現実的なものです。

  日頃の生活や国政の体たらくを見れば、税金を払うだけで国家からはなんらの恩恵を受けていないと感じます。としても、シリアやソマリア、アフガニスタンのように市民権や人権尊重が保障されていないばかりか、そもそも国家秩序が失われたに等しい諸国・地域の事情から見れば、私たち日本人は、地政学的に見ると、国内的には安定した平和秩序のもとで安全に生活し、「民主化された国民国家」の恩恵を受けていることになるでしょう。
  その意味では、私のように「愛国心」というような欺瞞的な言葉(イデオロギー)に強いアレルギーを示す個人でも、国民国家的状態が生み出す仕組みによる保護や恩恵を受けているのです。日本という国家への帰属ないし帰属意識をあるいは政治的立場上、拒否している人にも、このような市民権を保障するという「国家状態による効果」はおよんでいるのです。
  私たちは、国民国家の平和秩序の恩恵を受けて秩序に包摂されているのです。もとより、このレジームから――私たち庶民の慎ましやかな生活を横目に――したたかに大きな利権や権益を特権的に引き出し、のさばり返っている少数派の階級やエリートがいることも事実なのですが。

  もちろん、人びとにとって国家の作用は恩恵ばかりではありません。
  戦争や防衛、外交に関する領域では、国家の作用は日常的にも重くのしかかってきます。国家は、軍事上、安全保障ないし外交上の理由によって市民個人や団体、一定区域(の住民)の生活環境・生活条件を規制・制約したり、独特の負担を強制します。たとえば、沖縄やそのほかの軍事基地・軍事拠点の周囲ではとりわけてそうなっています。
  このように政治的に組織された社会空間の内部ではじめて市民権は存在し、政治的諸制度によって保障されることになるのです。

  東アジアの軍事的環境のなかで政治的=軍事的単位としての日本の存立にとって、アメリカとの安全保障条約は決定的なものです。だから、日本は合衆国に政治的・軍事的に従属し、アメリカ軍には軍事基地用地を提供しなければならないのです。平和主義を言うだけでは、東アジアでの日本という国民国家の安全保障は成り立たないのです。
  とはいえ、沖縄にばかり過度にその負担を割り当てている事情に関して、政府は「建前」ではなく、本音を沖縄に明言して説得すべきでしょう。私たちも、そういう「平和の代償」を自覚すべきでしょう。そして、ほかの県や地方がその軍事上の負担の分担を拒否するのならば、各県――とくに繁栄を独占する中心都市=東京――は予算のなかから沖縄県に対してどれほどの額の補償をすべきかを算定すべきでしょう。

  ところで、普通の日常生活では感じないのですが、犯罪の当事者――国家の司法権や刑罰権が及ぶ――になったり、国境を越えたりするときには、国家の作用は逃れようもないほど強力にのしかかってきます。

  とりわけ国家対国家、国家間の権力や権限が出会い、錯綜し、ぶつかり合う場面では、個人や住民集団は、圧倒的な力の相互作用の前に立ちすくむしかありません。抵抗や反対をしても、大きな力の前に屈するしかないことも多いのです。
  けれども、しばし立ちすくんだのちに、個人や集団がしたたかに生存本能を発揮するのを妨げるものではありません。とくに民主主義レジームのもとでは。レジーム秩序に取り込まれながら、したたかに、しなやかに、大らかに生き延びる算段をするしかないのです。
  つまり、国家や中央政府との取引(駆け引き)によって《秩序を受容する代償》を要求し、中央政府に譲歩を求めるということです。しかもその代償をしだいに大きくしていって、安全保障上の代償としては大きすぎると中央政府に感じさせるようにすることも、あながち不可能ではないかもしれません。
  たとえば、「年間20兆円を代償として付与するならば、沖縄は喜んで米軍基地を受け入れよう」とか。その代償を10年間も蓄えれば、主権をもつ自治国家としての独立もあながち夢ではありません。

  またたとえ、ばブリテン連合王国からのスコットランドの独立派の要求――そして独立をめぐる住民投票レファレンダムにまで持ち込んだ運動の成果――を見てください。ロンドンの政権は、スコットランドの反乱を回避し、抵抗を既成の「連合王国」秩序の枠内におさめようと苦慮しています。そういう異議申し立てができるのは、素晴らしいことです。国民的秩序が民主政とう形態で組織されていることの恩恵です。
  それは、新疆ウイグルの抵抗派やティベット独立派が中国中央政府によって徹底的に抑圧され蹂躙される状態とは、決定的に異なっています。民主政はありがたいものです。

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