機嫌を回復して翌朝を迎えたテスだったが、茶目っ気と反骨精神は抑えられなかった。きのうは、朝の出発からダグラスにしてやられてばっかりだった、と。反撃のために警護班を出し抜く機会を窺っていた。
給油のためにガソリンスタンドに寄ったときだった。テスはチャーミングな笑顔を警護官たちに向けて、スタンドの売店での買い物を頼んだ。警護官たちが売店に入った途端、テスは運転手に発車=逃避を命じた。警護班が追いかけたが、リムジンを見失ってしまった。
まったく油断のならない婆さんだ。
私は、物語の主人公としては、油断のならないしたたかな婆さんが大好きだ。
夫が現役の大統領だった頃、テスは大統領府のどの閣僚、どの補佐官よりもすぐれた洞察力と決断力を発揮した、政権の随一のブレインだった。いまでも、鬱屈を抱えた老婦人という衣の下には、機知と機転に富んだリーダーシップが隠れていた。彼女の才気は突出する機会をうかがっていたのだ。
ダグラスは、地元の警察に正直に事情を話して、テス(と車と運転手)の捜索を依頼した。郡警察の面々は、警護班の失敗を面白がり、からかったが、ダグラスは責任を感じて、屈辱に耐えていた。夕方、郡警察隊はテスを発見して、警護班が待つ邸宅に送り届けた。
ダグラスは、規則を破ってテスの命令にしたがって逃走に手を貸した運転手をとっちめて馘首しようとした。だが、テスは運転手の解雇を認めなかった。そして、いつもまとわりついている警護官たちを振り払って、プライヴァシーを確保するための「いたずら」だと言い張った。
それを無責任で無謀な行動だと非難するダグラスに対して、「何よ、保護者面をしないでちょうだい」と突っぱねた。
テスとのあいだに信頼関係が成り立っていないと思ったダグラスは、もはや警護に責任を負えないから任務から抜けると告げると、引き止めようとするテスの譲歩の申し出も聞かずに邸を出ていった。
ダグラスが自宅に帰ってトイレでくつろいでいると、大統領からの直通電話が入った。ブリテンに向かう大西洋上の大統領特別機からだった。大統領によれば、テスがホワイトハウスに今後一切の警護サーヴィスを拒否すると通告してきたという。
大統領にとっては、今、就任1期目の任期切れ間近で、再選に向けた戦略が動き始めたところだ。そこに、幅広く市民に人気があるテスとの関係がこじれるのは許されない。大統領はまさに「政治生命を賭けて」ダグラスに命じた。
「ただちに任務に復帰して、事態を収拾したまえ」
大統領いわく、「重要なのは、君や私が何を考えるかではない。民衆(選挙民)がどう思うかだよ」
大統領の思惑では。再選にとって重要なのは政策の内容がどうのこうのではない。有権者の多数の好意的な評価を確保することが何よりなのだ。テスこそは、「大票田」を握る地主なのだ。
民衆の意思を何よりも尊重するというわけだ。アメリカ民主主義バンザイ! 民主主義とは、 demos cratia (民衆の力)の――世論という形での――威力を恐れる態度か?
まさしくダグラスは大統領に尻を蹴とばされて――キックア・アス――テスの警護任務に復帰することになった。