さて、ダグラスがカーライル邸に戻ると、警護班全員(女性スタッフも含めた6人)は邸から追い出され、すべての門扉が固く閉ざされていた。テスは、シークレットサーヴィスを断固拒否していた。話し合いの申し入れも拒否しているのだ。
仕方なく、ダグラス主任は、警護班の車3台を邸外に待機させ、外から警護の態勢を敷き、テスの外出時に車で追走してガードするという作戦を立てた。彼は、テスの逃走を手助けしたと詰問した運転手に詫びを入れて、テスが外出を命じたら出発前に知らせてくれと頼んだ。
ある日、テスが出かけることになった。運転手の事前通報を受けて準備し、警護班はリムジンのあとを追いかけた。行き先は大きな病院だった。病院の玄関前で車を降りたテスにダグラスが追いついたが、テスは振り払うように予約した診療科検査室に入っていった。
彼女は、CT・MRIで脳腫瘍の進行状態の検査診断を受けた。現在の病状は落ち着いているが、そもそも発見が遅かったので、医師団にできるのは、急激な体調の悪化やひどい頭痛を投薬で緩和することくらいしかなかった。静かに推移を見守るだけだった。
だが、テスは強い意志で状況を受け入れ、強い自己抑制(ときどき気紛れ)をきかせていた。だが、シークレットサーヴィスに対しては、病気のことを知らせていなかった。病人としていたわられるのが、いやだったからだ。
警護班のメンバーは、追い詰められているテスの立場の一端をダグラスは知ることになった。それからは、前ファーストレディだったという先入観のフィルターをはずしてテスを1人の老夫人として眺めるようになった。すると、いろいろ見えてきた。
傍目には、夫婦で権力の頂点を極めて恵まれた環境にあり、寡婦になってからも民衆の多くから敬愛を集めていて、屈託なんかはなさそうに見える。そんなテスだが、人並みの悩みを抱えていた。
娘とはすっかり疎遠になり、もう行き来もない。久しぶりに訪ねてきた息子は、経営する不動産会社を業界の激しい競争のなかで生き残らせるために、母親の知名度や信用度を巧みに利用しようと企てる始末。
地位と名声を得たがゆえに、親しき者はしだいに足を遠のかせ、近づく者は彼女の利用価値を値踏みする。息子でさえ、母親の利用価値を値踏みしてやって来る。
息子は、会社の信用度や認知度を高めるため、テスにメッセイジを寄せてほしいと頼み込んだ。しかしテスは、自分の地位や名誉を息子の商売道具にするつもりはなかったから、息子を追い返したようだ。
が、孤独感は募った。
テスは家族の親密な心の交流を渇望していた。
その意味では、任務としてだが、テスに本音でぶつかってくるダグラスの態度は好ましいもので、それだけがテスの周囲で他人との人間らしい付き合いともいえた。