そのあとも警護班とテストの意地の張り合いは、相変わらず続いていた。
ある深夜、邸の敷地の外に停めた車のなかで、見張りを続けるダグラスは、眠気覚ましに保温ポットから熱いコーヒーをカップに注いで飲もうとしていた。カップを口にもっていったその途端、車の窓を叩く者が現れた。驚いたダグラスは、カップを取り落として、熱いい中身を腿と膝にこぼしてしまった。
そこにいたのはテスだった。鬱々として眠れないテスは、ダグラスを邸内のキッチンに誘った。いっしょにコーヒーを飲まないか、と。通用門に向かってダグラスと並んで歩きながら、歩きながら、テスは自分の警護に対する正直な気持ちを告げた。政権の政治的思惑で、有能な政府職員と税金が無為に浪費されている、と。
キッチンに入るとテスは、酒を飲んで話をしようと提案した。ダグラスを相手に彼女は年相応の悩みを打ち明け、愚痴をこぼした。子どもたちとは疎遠になり、心も通わない。とても孤独だ、と。ダグラスは、任務中だが人間としての交流のために酒に付き合い、静かにテスの話を聞いていた。
一通り話し終わると、テスは、今度はダグラスのことを話してくれと言った。
「自分について話すほどのことは何もない」というのがダグラスの返事だった。彼は、財務省のキャリアとして職歴はかなりのものなのだが、個人としての人生では失敗ばかりで話せるほどのものはないと考えているようだ。そんなダグラスの気分を変えるために、テスの提案で、町の深夜営業のレストランで、ナイトキャップ(就寝前の軽い酒)の続きをすることにした。いまでは、ダグラスは警護ができる状況ならば、たいていのテスのわがままを受け入れるようにしていた。
テスは、ダグラスの経歴や私生活、とりわけ離婚暦について、知っていることを仄めかした。生前、夫から聞いたことだった。前大統領は、警護官としてのダグラスの人物評価や個人情報について、断片的に妻に話したのだ。
大統領は、警護任務につく者たちの経歴や身辺・家庭環境、資産状態について知悉していた。ただし、そのことを警護要員やメディアとの会話で話すことはいっさいなかった。
政府組織の最高指導者としての大統領は、とりわけ要人警護の任務に当たる者たちの経歴や個人情報に関する資料を、限られた範囲で、必要に応じて閲覧する権利がある。また、警護官たちも、武器を携帯して用心の警護活動に当たる限り、必要な範囲で、私生活や経済状態、心理状態について定期的に審査を受け、また自ら報告する義務がある。部門の管理組織は、こうした情報を(厳格な個人情報保護の措置を講じて)ファイリングする。
現役大統領の警護を担当するシークレットサーヴィス要員は、財務省警護部門でも、エリート中のエリートだ。なかでもダグラス・チェズニクの冷静な判断力、任務への忠誠、献身性、人間性について、大統領夫妻は、非常に高い評価を与えていたのだ。
テスの誘い水に乗って、ダグラスはおもむろに、結婚から離婚にいたる経緯、元妻との生活をめぐる自分の判断の甘さなどについて訥々と話し始めた。
ぶつかり合いのあと、テスとしみじみ話し合うなかで、ダグラスは、ずっと以前からテスに信頼され気に入られていることを知った。これまでのぶつかり合いは、テスがむしろ「普通の生活」を求めたがゆえだったと理解した。警護班の特別指揮官と前大統領夫人との対立は、自然解消した。
テスにはふたたび警護のシークレットサーヴィスがつくことになった。