第2章 商業資本=都市の成長と支配秩序
第6節 ドイツの政治的分裂と諸都市
この節の目次
都市行政の任務のうち大きな出費をともなうのは、対外的防衛、つまり軍事費だった。1379年のケルン財政支出のじつに82%が直接または間接に都市防衛に回されたという。8万1000ケルンマルクにのぼる防衛費は、大部分が城塞などの防御施設の建設に使われ、ほかに市壁防衛の任につく傭兵、騎士とその従者の給与、そして旅行するケルン商人の護衛者への謝礼に使われた〔cf. Rörig〕。
市民資格を持つ住民には武器の保有が義務づけられ、上層市民は軍馬と甲冑を用意しなければならなかった。火砲の発達で、都市の城塞はいち早く砲眼を設えた星型稜堡城郭 Sternschanze / bastion と大量の大砲や銃によって防御されるようになった。こうして、ドイツでは14、15世紀になってさえ、軍事的能力でも都市は周囲の諸侯に対して優位を保っていた〔cf. Parker〕。それは、有力諸都市の突出した強さというよりも、それらを領域国家に統合できるほどに強大な王権が形成されなかったという状況を意味している。
沿海部や大河畔に位置して遠距離貿易を営む港湾諸都市は、武装した船舶を保有・運用して航海事業をおこなっていたから、艦隊=海軍力でも卓越していた。多数の領邦諸国家への分裂が続いていたゲルマニアでは17世紀の後半まで、皇帝や有力君侯が絡む戦争における海上での軍事活動では、ハンザ同盟をはじめとする沿岸諸都市の参事会や有力商人団体が武装した艦船に乗組員を乗せて艦隊を組織し、海戦や航海を指揮した。
中世晩期のドイツ諸都市はたえず都市独自の支配領域を形成しようとした。それは都市の防衛政策と密接にかかわっていて、都市はこの領域のなかに防壁や城塞、楼門など一連の堅固な防衛施設や兵站施設を配置することを追求した〔cf. Rörig〕。諸侯による領域国家形成が進展するにつれて、諸侯の都市への攻撃を回避し、とくに都市中心部への打撃を防ぐために、都市の周囲のできるだけ広い空間を確保しようとする企図が目立つようになった。こうして、ドイツでも都市による周辺の農村への支配が拡大することになった。
イタリアの都市国家ほどには突出してはいなかったが、ドイツの有力商業都市もまた、近隣の君侯領主による領域国家形成に対抗できるほどには領域的支配への傾向を強めていたことは見てとれるのだ。
すでに13世紀から、富裕市民や参事会教会は市域外に土地財産、地代収取権、裁判上の権利を獲得したが、それらは分散していたこともあれば、まとまっていたこともあった。そして、都市団体自体も周囲の小都市や農村を支配圏に囲い込むようになる。こうした市域の周囲への権力の拡張を基盤として、リューベックは14世紀前半に、市の食糧調達政策と絡めて、豊かな穀倉地ベール島の全所領農園の8割を獲得したという。その頃までにリューベックは所領支配者または穀物買い付け権を持つ商人団体として、ヴォルガストやリューゲン島、フェールマン島方面で240の村落に穀物調達をめぐるさまざまな権利を得ていたので、「自由な取引き」をつうじて、あるいは所領の貢租として大量の穀物を手に入れた〔cf. Rörig〕。
それは、戦時の食糧供給の確保や穀物備蓄のためでもあり、また穀物の作柄の変動がひどくなった時代に、穀物価格高騰や食糧不足に直面した下層民衆による蜂起や反乱を回避するためにも役立った。
だが、この動きは、領域支配の拡張をめざす諸侯の利害と対立することになった。各地でさまざまな権益をめぐって都市行政機関と領邦君侯 Landfürsten の統治機関との衝突が始まった。帝国レジームが多数の弱小領邦への分裂状況を維持するための仕組みとなっていたドイツでは、都市自身もまた、領邦君侯の向こうをはって、他者の主権を排除したひとまとまりの支配領域を形成しなければならなくなっていたのだ〔cf. Rörig〕。こうして、諸侯の領域膨張主義への防衛措置として「領域都市国家」への傾向が強まった。ドイツ史学界では、こういう都市を領域都市 Territorialstadt として把握する見方もある。だが、それは多数の弱小君侯による小規模な領邦国家形成とともに、ドイツの軍事的・政治的分裂を深めるだけだった。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
◆全体目次 章と節◆
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成