第2章 商業資本=都市の成長と支配秩序
第6節 ドイツの政治的分裂と諸都市
この節の目次
宗教改革と農民戦争
16世紀にゲルマニア各地を吹き荒れる「宗教改革」と「農民戦争」の嵐について――ここでは、世界市場形成と国家形成への趨勢に関連させて――簡単に一瞥しておく。
◆宗教改革◆
宗教改革 Reformation は、これまでに見た各地での領邦国家の形成、すなわち君侯たちによる集権化が、聖界貴族や修道院の自立性と衝突するようになったことの帰結と見るべきだ。
汎ヨーロッパ的な普遍的権威を掲げるローマ教会組織に属しながら、在地では一個の領主貴族として分立して君侯権力の拡大に立ちはだかる聖界貴族や修道院の自立性を奪って領邦支配装置に組み込もうとする動きということだ。概して、集権化の度合いを高めようとする――強固な政治的=軍事的統合を求める君侯――プロイセンやザクセン――が、教会の新宗派への転換を進める傾向があった。
これには、最も主要な動機として、領邦君侯の所領支配や財政収入の拡張というねらいもあった。つまり、教会や修道院の所領を没収=世俗化して君侯の所領に編入するか、家臣への授封地として、家政収入を増大させるということだ。
とはいえ、改革機運が広がると、教義や教会組織運営をめぐって、いたるところで都市や農村集落の内部および相互間で対立や紛争が続発することになった。都市や村落が管理する教会や聖堂の運営や、役員選出、司祭や助祭などの任命権の運用をめぐって、いずれの宗派=教義を選択するかによって、地代やら教会税の納入先やらが大きく変動し、地域の秩序や力関係が転換する見込みが生じたのだ〔cf. 瀬原〕。
都市住民や農民たちが、そういう選択を迫られるほどに、既存の教会組織の営為は日常生活感覚・倫理観とかけ離れていたということだろう。
それにしても、西ヨーロッパ全体で領域国家の形成をめざす王権や君侯は、教会組織の自立性を奪って聖界所領を世俗化すると同時に、教会組織を自らの支配装置に組み込もうとした。もとより、他方に教会の行動スタイルや教義に関する論争も繰り広げられたが、諸国家体系――諸国家形成――の文脈では、王権国家装置による統制下に教会を取り込もうとする動きが何より決定的な側面だ。
◆農民戦争◆
そして、その動きは各地で頻発する農民たちの蜂起や紛争とも絡み合っていた。
「農民戦争 Bauernkrieg 」がどういうものであったかについては、さまざまな見方がある。たとえばフリードリッヒ・エンゲルスは、未成熟で中途で頓挫した「早すぎた市民革命」と位置づけた〔cf. Engels〕。
エンゲルス自身の内部には、2つの対立した発想がぶつかり合っているところがある。一方には、ローマ帝国の崩壊以降、近代までの動きを全体として「資本主義への漸次的移行過程」と見なして「封建制」という段階をきわめて相対化する見解。他方に、中世を封建的生産様式を土台とする独自の社会編成として、近代資本主義と対比されるべき社会システムと見なす立場がある。
上記の見方は、この2つの方法の折衷の上に成り立っているように見える。生産様式の移行・変動が生じ始めていたのだが、秩序変革の担い手となりうるブルジョワジーが成長・成立していなかったという論理に、その折衷具合が現れている。
さて、15世紀までにゲルマニア主要部では、領主直営地が減少して農民の農奴身分からの解放が大きく進んだ。その前の世紀までに、西ヨーロッパ各地で直営地拡大と農法の変革によって穀物生産の過剰が生じて、直営地経営の収益率が著しく低下したために、直営経営からの転換――領主たちは貨幣地代収取に重心を移した――が生じたということは、すでに見た。それがヨーロッパ遠距離貿易ネットワークの形成と都市商業資本の権力の拡大を背景としていたことも。
同じ文脈で、自営農民層や借地農が土地を持たない下層農民を雇って農場経営を拡大していた。また、各地の都市での繊維産業、造船業などを中心とするマニュファクチャーが急成長していた。毛織物や麻・綿織物では、都市近隣の農村で農閑期の手間仕事や専門職人による織布生産が成長していた。これらの動きは、農村や都市での住民たちあいだに顕著な階級分化をもたらしたはずだ。
なかでも経営に成功して富裕化した農民層は、領主たちの特権の制限や撤回をもとめて結集して運動した。ドイツの農民たちは武装自衛の風習と慣習法的権利を持っていたから、ときに武装闘争となった。それが、直営地経営の行き詰まりとともに、領主家政・財政の危機をもたらしただろう。
ところが、他方で領邦国家形成をめぐる領主層の生き残り競争、勢力拡張競争もまた熾烈化していた。それは軍備や戦費調達のために、直営地の利潤であろうと貨幣地代収入であろうと、所領収入の増大を求める動きを呼び起こしてもいた。それが宗教改革の原因の1つだった。
ところが、農民の結集と運動の進展とともに、多数の下層農民も参加し、都市の下層民衆の反乱とも結びついていった。農民集団は都市を包囲・威圧して宗教改革や貧富格差の解消などを要求した。宗教改革をめぐる教義論争と絡み合って「神の正義」「神の法」による秩序についての思想が農民層や都市民衆にも広がったと見られる。
そこには、この時代になると、都市による農村の支配や収奪、都市の農村の富の格差が誰の目にも明らかなほどになったという事情があるだろう。だから農民団の攻撃対象は、ときには領主であったり、あるときは都市の寡頭支配層、またあるときは教会組織であったり――これらが重なることもあった――と多様だった。
したがって、「革命」と呼べるほどに敵対の相手、打撃の対象が明白だったわけではない。ただし、すでに述べてあるように、私は「市民革命」の意味を従来とは大幅に組み換えて理解していることを付言しておく。
こうして、力を蓄え結集した農民層と領主ならびに都市の商業貴族層とのあいだで敵対・紛争が発生する状況が生まれた。しかし、この動きは個別都市や領主の局地的権力によっては封じ込めることはできなかった。農民戦争を鎮圧・抑圧したのは、弱小な地方貴族を併呑しながら領邦権力の拡張をめざす有力諸侯たちだった〔cf. 瀬原〕。けれども、領邦的規模を超える君主政=王権を生み出す傾向には結びつかなかった。
多数の弱小君侯領主が互いに隣接しながらひしめき合っている状況が、帝国という独特のレジーム=観念と相まって、勢力均衡という名の「足の引っ張り合い」を助長したせいなのだろうか。君侯たちの「軍拡」がさほどではなかったせいなのか。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
◆全体目次 章と節◆
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成