第6節 ドイツの政治的分裂と諸都市

この節の目次

ドイツの政治的分裂という事情

1 都市の統治装置の創出

ⅰ 参事会と参審人団

ⅱ 都市の財政構造

ⅲ 都市の財政と軍事力

2 都市の領域政策の展開と領主権力

ⅰ 都市の領域政策と領邦諸侯

ⅱ 教会組織との関係

ⅲ 裁判権力と通貨権力

ⅳ 帝国レジームと都市

3 都市同盟と地域同盟の試み

ⅰ ライン都市同盟

ⅱ シュヴァーベン同盟

ⅲ スイスの誓約同盟

4 領邦君侯の統治装置

5 領邦君侯による国家形成

宗教改革と農民戦争

ⅱ 教会組織との関係

  さて都市統治団体は、都市の領域政策をつうじてそれまで領域内に独自の権力を持っていた教会や修道院の権限を切り崩すことになった。これは、領域君侯の国家形成と同じ傾向だった。14世紀以降、市域内の教会・修道院に対してその特権であった免税地区の拡張を禁止するようになり、さらに都市参事会は聖界施設の助任司祭の任命権を奪い取り、教会・修道院施設や施療院 Hospital には参事会や門閥の息のかかった俗人の管理者を送りこむようになった。
  だが、ローマ教会を都市統治装置の一環に組み込むことはできなかった。というよりも、ローマ教会組織には教皇庁やら近隣司教区の大司教やらの権限、さらには司祭や牧師に対して自らの所領収入から聖界碌を授封する世俗の君侯領主などの権限が複雑に入り込んでいて、個別都市だけで措置できる枠を超えていたからだ。

ⅲ 裁判権力と通貨権力

  ハンザ諸都市は、それぞれの城塞の周囲にひとまとまりの支配領域を形成していたが、その外縁は多数の分立的な諸領邦に取り囲まれていた。ハンザが14世紀に、商人団体の同盟から都市団体の同盟に性格を転換したのも、このような軍事的・政治的環境の変化を大いに反映していたかもしれない。
  ハンザ同盟のなかでも、リューベックとマクデブルクは、その都市法を模倣・移植した多くの都市における裁判の上級法廷 Oberhof として頭抜けた政治的・法的地位をもっていた。法的側面では、個別都市や個別領邦を超えるより広域的な平和共同体の形成をめざしたものと見られる。
  また、ハンザ諸都市の通貨同盟は、多数の領邦への分立状態を通貨政策の面から修復・防衛する措置でもあった。貨幣鋳造権をもつ都市団体が集合して、貨幣の品位と種類について拘束力のある協定を取り結んだのだ。先行する緩やかな協定ののち、1379年、ヴェンデ地方のリューベック、ハンブルク、ヴィスマルのあいだで通貨同盟の協定が締結された。
  この協定はその後、多数の北ドイツ都市に拡大されていく。同様な通貨同盟は、バーゼルを中心にして南ドイツの諸都市でも取り結ばれた。このラッペン通貨同盟には、コルマル、ブライザッハ、フライブルク、さらにオーストリアのいくつかの所領も参加したという〔cf. Rörig〕

ⅳ 帝国レジームと都市同盟

  北イタリアでは、諸都市が周囲の農村や弱小都市を支配して都市国家を形成し、互いに境界を接するようになった。だが、それらはやがて15世紀末から、フランス王権とハプスブルク王朝とのイタリアをめぐる支配権争いに巻き込まれた。イングランドとフランスでは、王権が形成途上の国家装置に有力諸都市を編合し従属させた。
  ところがドイツでは、それらに匹敵する国家形成を担うことができる強力な王権は現れなかった。帝国という奇妙な法観念に縛られて、多数の弱小君侯による領邦国家が分立し続けた。というよりも、弱小領邦が帝国観念にむしろしがみついてすくみ合っていたというべきだろう。ドイツ諸都市は、権力闘争が熾烈化していくヨーロッパ世界市場と諸国家体系のなかで、こうした無力で中途半端な小規模諸国家(領邦国家のどれか)に吸収されるか、それともそれらとの領域形成の競争で生き残って、これまた中途半端な「疑似都市国家」ないし都市同盟として自立を保つかという選択を迫られた。どちらの結果も、ドイツの政治的分断状況の継続だった。
  16世紀前半には、領邦国家の数は減少し、その規模はいくらか大きくなったが、ハプスブルク王朝オーストリアを除いては、ヨーロッパ諸国家体系のなかで意味ある規模の軍事的・政治的単位にはならなかった。そのオーストリアも、数世紀のちまで、中央集権政府をつくりあげることはできなかった。この状況はまた、ドイツの都市と商人が強力な国家装置の周囲に結集して、ヨーロッパ世界経済での貿易競争を戦い抜くための商業資本のブロックを形成する条件を奪うことになった。
  多くの諸都市はいずれにしろ領邦国家に吸収されていくことになったが、領邦君侯によって特権を奪われて収奪の対象にされるか、都市特権は維持できたものの、領邦自体が弱小国家ゆえにまともな通商保護政策を与えられずにヨーロッパ諸都市の世界貿易競争で後退するかのいずれかの道をたどることになった。

  神聖ローマ帝国のレジーム(法観念)が確立されるのは1495年頃だ。この年、ゲルマニアの聖俗諸侯や領主・騎士たちがヴォルムスの帝国評議会に集結して帝国の改革案が提起され、評議会の構成や運営方法が整備された。「神聖ローマ帝国」という呼称が公式に表明されるのも、このときからだ。ただし、その呼び名は13世紀には各種の文書に登場していた。
  帝国評議会は次の3つの部会(議院)から構成される。
①選帝侯評議会( Kurfürstentag ):マインツ、ケルン、トゥリーアの3大司教とザクセン、プファルツ、ブランデンブルク、ベーメンの俗界4諸侯、計7人の選帝諸侯からなる集会。
②そのほかの領邦諸侯の評議会( Fürstentag ):4人の大司教、46人の司教、86人の修道院長などの聖界領主、24人の世俗公、145人の伯や領主貴族が集会。
③諸都市の評議会( Städtertag ):およそ83前後の都市代表からなる集会。
  このほかに「帝国クライス評議会」(地域集会)や「帝国貨幣評議会」などの検討事項別の諸身分集会が開催されることもあった。
  それにしても、帝国評議会に参集した身分代表は、領邦・領主支配圏や都市など、いわば自立的な政治体を代表していたから、ゲルマニアは400以上もの弱小な政治体からなっていた――分断されていた――ということになる。

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世界経済における資本と国家、そして都市

第1篇
 ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市

◆全体目次 章と節◆

⇒章と節の概要説明を見る

序章
 世界経済のなかの資本と国家という視点

第1章
 ヨーロッパ世界経済と諸国家体系の出現

補章-1
 ヨーロッパの農村、都市と生態系
 ――中世中期から晩期

補章-2
 ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
 ――中世から近代

第2章
 商業資本=都市の成長と支配秩序

第1節
 地中海貿易圏でのヴェネツィアの興隆

第2節
 地中海世界貿易とイタリア都市国家群

第3節
 西ヨーロッパの都市形成と領主制

第4節
 バルト海貿易とハンザ都市同盟

第5節
 商業経営の洗練と商人の都市支配

第6節
 ドイツの政治的分裂と諸都市

第7節
 世界貿易、世界都市と政治秩序の変動

補章-3
 ヨーロッパの地政学的構造
 ――中世から近代初頭

補章-4
 ヨーロッパ諸国民国家の形成史への視座

第3章
 都市と国家のはざまで
 ――ネーデルラント諸都市と国家形成

第1節
 ブリュージュの勃興と戦乱

第2節
 アントウェルペンの繁栄と諸王権の対抗

第3節
 ネーデルラントの商業資本と国家
 ――経済的・政治的凝集とヘゲモニー

第4章
 イベリアの諸王朝と国家形成の挫折

第5章
 イングランド国民国家の形成

第6章
 フランスの王権と国家形成

第7章
 スウェーデンの奇妙な王権国家の形成

第8章
 中間総括と展望