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三木清良といえば、そのヴァイオリンの師匠である巨匠、カイ・ドゥーン――ベルリン・フィルの元コンマスで、現在ベルリン弦楽四重奏団の重鎮、かつソリストとしても活躍――の役回りも絡んでくる。ドラマではいささか役不足だ印象を強く抱いていた。しかるべく描くには時間と手間・カネがかかりすぎるからだろう。
なかなか大きな存在感と「アク」が強そうな役回りになるはずだ、という気がして「どういう人物像なのだろう?」と疑問だった。これも、原作を読んで、氷解した、というか納得した。
原作では、カイ・ドゥーンはフランツ・シュトレーゼマンとは若い頃からの絡み合い・確執があって、指揮者とコンマスという立場の相違はありながら、ライヴァルでもあったという。やがてヨーロッパに渡って指揮者として修業する千秋真一が常任指揮者となるはずのルー・マルレ楽団ではシュトレーゼマンとドゥーンがケンカしながら楽団を引っ張ったという。
ヨーロッパの音楽界でも、やはり巨匠や偉人たちは、いくつもの山脈の秀峰(山頂)をなしていて、たがいに相手を視野において行動するはずだから、まあ当然のことだし、そうであった方が、物語にはるかに大きな緊張を与えるから。
カイ・ドゥーンは、音楽仲間から千秋真一などの日本の音楽界の若手「ハイタレンツ」の噂・評価を耳にしていた。
とりわけベルリン弦楽委四重奏団の仲間、フランクは、ニナ・ルッツ音楽祭で客員講師として日本の音楽エリート学生を指導したときに、千明真一の指揮者として飛び抜けた才能に注目した。フランクはカイ・ドゥーンに千秋のことを伝えていたのだ。
おりしも、桃ケ丘音大の理事長、桃平美奈子――彼女をめぐってはシュトレーゼマンとドゥーンは恋のライヴァルだったらしい――から大学での客員教授としての1年間の指導を頼まれて、日本に来ることになった。
そのため、ドゥーンの指導を受けている三木清良は1年間、ドイツから日本に――この音大の大学院に在籍して――戻ってくることになった。
清良は千秋とともにR☆Sオーケストラを結成することになると、カイ・ドゥーンは押しかけ練習指導に乗り出してきた――千秋真一をはじめとする若い音楽家たちとの交流を求めて。
もちろん、日本での清良のコンクールも気がかりでのことだろうが。ともかく、千秋真一何者ぞ、という古強者としての関心もあってのことだろう。
そこで、この新進気鋭の《指揮者+若者集団》のパフォーマンスと潜在能力に感銘して、ついに千秋指揮のオケ練習リハーサルにまで押しかけてしまうことになったというしだい。弦楽界の巨匠だが、何と腰の軽いというか、好奇心旺盛なのだろう!
そのくらいの感性の鋭さ、敏感さが、彼の実績を支えたのかもしれない。この点は、シュトレーゼマンといい勝負だ。
カイ・ドゥーンはリハに押しかけてきて、千秋や清良、そのほかの日本の音楽エリートたちを「子ども扱い」するかのように、しかし、本気になって、的確で鋭いアドヴァイスや提言を与える。
つまりは、大変大きい存在感とスマートさとともに、人間の大きさや包容力、感性の柔らかさを感じる、素敵なオジサンである。身体も大きくて、ヴァイオリンが玩具のように見える巨漢だという。
つまりは、R☆Sオケ草創期の動きについての、最有力の狂言回しとして登場するのである。
ところで、この「カイ・ドゥーン」という名前はどこから来たのだろう?
というのも、それはどこかマジャール的な――ハンガリー人ぽい――響きを感じさせる。南ヨーロッパ的もあり、アジア的でもあり、いく分はギリシア系のような。
マジャール・ハンガリーといえば、連想するのは、巨匠指揮者ゲオルク(ギヨルク)・ショルティだ。私は、カイ・ドゥーンの関連して何となくショルティを連想していた。
というのは、ドラマの間奏曲となっているベートーフェンの「第7番」の演奏のイメイジが華麗で、ショルティの指揮の7番を連想させられたからかもしれない。
ヴィエラが真一を弟子とした経緯は、ドラマではほとんど描かれていない――タマゴッチが出会いのきっかけとなったということを除いてはごく断片的だ。その断片は、真一がヴィエラの演奏指揮に心酔して接近し、日本に帰る直前に弟子にしてもらった経緯をそれとなく示唆し、真一のヴィエラへの想いをれ連想させるために挿入される。
ところが原作では――たぶんプラーハ――で真一がヴィエラの演奏指揮に出会って強い衝撃を受けるところから描かれている。真一は何とかしてヴィエラに近づこうとする。
真一はヴィエラのオーケストラ・リハーサルに何とか忍び込もうとするが、ヴィエラははじめ相手にしなかった。ところが、間もなくヴィエラは真一の決意・願望の強さ、そしてヴィエラ顔負けに各パートの音やテンポなどを聞き分け、オケの演奏上の問題を的確に指摘する耳の良さや直観的な音楽性、才能に注目することになる。そして有名な日本人ピアニストの息子だということ、さらに両親の離婚など複雑な家庭環境も知る。
巨匠ヴィエラはシュトレーゼマンのライヴァルだが、シュトレーゼマンのように身勝手ではないが、やはりかなりの変人だ。ことに日本製の玩具やゲイムに関して超フリークだ。いつまでも童心を保ち続ける柔軟な感性や感受性の持ち主だ。
ただし、彼を不倶戴天の敵と意識するシュトレーゼマンと出会うと、その童心も「みっともない」幼児性むき出しの敵愾心に一転する。
そんな巨匠ヴィエラは、「子どもらしさ」を見せないほどに老成した一面を覗かせる真一の態度、音楽に対して「大人顔負けに」真摯な態度に何かを感じたのではないだろうか。
そんな経緯で、彼は真一を弟子にすることにした。