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「のだめ」の人物像と心理

  マンガや映画では、登場人物の性格とか心理、行動スタイルを、いわば極端なコントラストによって描き出す方法がしばしば取られる。
  『のだめ』の原作でもTVドラマでも、理詰めで理知的な千秋真一 ――これには黒木君も加わる――たちの陣営と「のだめ」――これには峰君も含まれる――たちの陣営、というキャラクターの2大陣営にかなり明白に描き分けられる。

  典型として、千秋と「のだめ」を対比しながら取り上げてみると、
  千秋については、冷静な自己分析とか独白(モノローグ)や思考の経緯がいたるところで示される。それで、千秋の人物像が全部わかるというわけではないが、少なくとも性格や心理=思考パターン、行動スタイルは、かなり明確に描かれている。
  ところが、「のだめ」は、筋立てられた心理や思考の過程・流れは、めったに描かれない。「のだめ」は直情径行的で、直感的・直観的で、ある言動がなぜ、いかにしてそうなったのかという筋道が読めない。作者は、そういう存在として「のだめ」を設定しているのだろう。
  むしろ、「のだめ」の心理や好み、判断基準などは、千秋の目を通して、その言動や心情の動きを通して、客観的に描かれる。千秋にとっても、「のだめ」の心理や性格、行動パターンは大いなる謎のままで、彼の分析とか考察そのほかの試行錯誤をつうじて解明される対象になっている。
  「のだめ」の描き方では、内面を明白に表出するモノローグは、きわめて少ない。
  わずかな独白台詞も、直截に彼女の心理や感情、思考パターンを理解できるようなものになってはいない。

  だから、私には「のだめ」という人物像は大きな謎のままだ。まあ、常識や世の中の規矩をあっさり超越していく天才=奇人として「のだめ」が性格づけられ、位置づけられる以上、それは当然の効果なのだが。
  その分、原作を読むと、「のだめ」をいつも気にかけて心配危惧する千秋の立場に感情移入しやすいのかもしれない。つまり、主人公の1人「のだめ」の人物像や心理を読み取るために、つねに千秋の視点や判断に寄り添っていかなければならないというわけなのだ。

  ところで、原作マンガは、千秋や「のだめ」、ほかの人物キャラクターの言動や絡み合いをつうじて、クラシック音楽の世界(の1断面)を描き出すインストラクションになっている。読者をクラシック音楽世界にいざなう。
  とりわけ、千秋の音楽に対する見解、印象、知識の発露を通して、クラシックについての相当な基礎知識を――少なくとも私は――得ることができるものになっている。
  女性マンガ家の作品のいいところは、登場人物たちが活躍する専門世界――仕事などの専門フィールド――の事情が丹念に描かれるところだ。ブリテンのミステリーの大家、ディック・フランシスの小説が果たしている役割とも比肩できるとさえ、私は思う。
  こういう視点に立ったとき、「のだめ」の目から見える「音楽の世界」はどういうものなのだろうか。私としては、音楽に対しての「のだめ」の視点というか立場を知りたい。

  音楽が音声・音響をつうじて人びとに喜びや快さ、感動やメッセイジを伝え呼び起こすものだ。そうならば、演奏者としても「楽しく自由にやって、何が悪いんですか」という「のだめ」の問いかけはどういう風に理解すべきか。それは、コンクールで失意を味わった彼女が千秋に投げ返した言葉だ。
  「本来楽しさや快感を伝えるべき音楽」をつくり上げ、表現するためにたくさんの規則や約束事があって、聴衆も演奏家もともに束縛しているのは変だ! という疑問はあってしかるべきだろう。原作マンガは、この疑問を中心テーマにしているのではないかと思う。
  音楽家たちは、この単純な目的のために切磋琢磨し自己研鑽し、競争する。
  私としては、「のだめ」は千秋の《分身》に思えてならない。あるいは、映し鏡として。

  「のだめ」は自分を客観的に見ていないわけではない。それは、マンガの「行間」に垣間見ることができる。けれども、「のだめ」については、そのときの欲求や気分、希望だけが描かれるだけだから、「のだめ」の本当の希望や望み、欲求が奈辺にあるのかわからない。
  とりわけ気になるのは、「のだめ」が音楽演奏上、何をめざしているのかということだ。千秋とのコラボ、コンチェルトを望んでいるのだが、それは何を意味するのか。単に恋心なのか。
  結論は、原作者がこの作品の物語をどのような結末=終わらせ方で完結させるかによって、出されるのだろう。それまでは、私は勝手に考え続けて楽しむことができるだろう。
  それは、言ってみれば、音楽の方法論、楽しみ方の立場の問題でもある。

  さて、;原作マンガが完結してみると、「疑問」については読者自身で考えなさいという結論だったような気がする。

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