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原作では、20巻以降、2人の関係と音楽への関与の仕方が「転回」していくように見える。
千秋は、孫ルイのピアノとのコンチェルトを演奏指揮して、自分の音楽の新たな地平を開拓・表現した。ところが、それは「のだめ」がそのときまさに目指していた境地の「その先」を行くものでもあった。
千秋は、「のだめ」のその時点での――千秋との協奏の目標としていた――理想と願望を、先取りして描き切ってしまった。
「のだめ」の目前の目標を奪い取るような形になるかもしれないが、彼女は「もっと高い地点、もっとはるかな地平を目指すはずだ」と考えたからだろう。
その時その時に理想とする最高の演奏をしなければ、次はないかもしれない。次には、さらなる高みをめざさなければ、プロの音楽家としては生き残れない、というわけだ。
つまりは、「のだめ」に対して、今目指している理想よりも、はるかにずっと高い次元を目指すべきだと、課題を突きつけるつもりだったのではないだろうか。
だが、「のだめ」は目前の目標と理想を、ライヴァル=ソン・ルイに横取りされてしまったと嘆き、すっかり落ち込んでしまう。コンセルヴァトワールでの練習も手につかなくなってしまう。
彼女の落胆を見かねたシュトレーゼマンは、自分の公演に「のだめ」を連れて行ってコラボ=ピアノコンチェルトを試みようとする。
「のだめ」は天性の感性と、最近の訓練で磨きをかけた天才的技術によって、新たな境地=地平を見出すことになる。ショパンのピアノ・コンチェルトをきわめて独創的に演奏することで。
ところが、「のだめ」はこの協奏曲の演奏で体験し目の前に開けた世界の深さに圧倒されて、もうこれ以上の演奏はできないと不安になったようだ。しばらく身を隠して世界各地を放浪することになる。
というわけで、この2人は、同じ音楽界に生きる者どうしとして、互いに相手に高い目標=課題を突きつけ合う。恋人どうしなのだが、そこには、とことん妥協や手加減がない。音楽に対する純粋な姿勢が見える。
作者としては、ここまで問題――人間どうし、そして人と音楽との関係性――を突き詰めてしまうと、結末=決着のつけ方が大変に難しい。というよりも、終わりのない問題領域に入り込んでしまった。
2人とも、より高い次元に進めば、ふたたびそこからさらに高い次元への跳躍を求め合うことになるからだ。
こうなれば、2人の音楽家人生の終わりまで付き合うしかないのだが、作品としては、一応の結末(起承転結)をつけなければならない。
二ノ宮知子は、結局のところ、「のだめ」と千秋真一の2人を「そもそもの原点」に回帰させることで物語を終結させた。2人が最初にモーツァルトのピアノ連弾コンチェルトを演奏するところに。