Office-Townwalkのサイト
|
1947年、合州国メイン州のある町。アンディ・デュフレインは、若くして銀行の副頭取を務めていた。その、高学歴のエリートが、妻とその浮気相手の男を謀殺したという罪で有罪を評決され、終身刑を宣告された。冤罪だった。
有罪を根拠づけたのは、2人が射殺された夜、アンディはリヴォルヴァー拳銃をもって、被害者のプロゴルファーの自宅の近くまで車で乗りつけたという事実、そしてアンディの妻がプロゴルファーと浮気していたという事実だけ。つまりは、状況証拠だけで、何の物的証拠の提示・検証もなく、明白な害意をもって銃撃して2人を殺害したという構図が描かれてしまった。
その夜、たしかにアンディは、妻の浮気相手を脅しつけようとして、そのプロゴルファーの住居の近くまで行った。けれども、家のなかに踏み込む決心がつかなくて、車のなかでウィスキーを飲み続けた。深く酩酊して、そのうち意識を失ってしまった。銃は近くの川に捨てた。それがいけなかった。無罪となる証拠を捨ててしまったのだ。
やがてアンディは逮捕され、2人の謀殺( the wilful murder / intentional homicide :明白な殺意をもった殺人)の容疑で訴追された。もちろん、アンディは殺意も殺害行為(銃撃)も否認したが、有罪になった。
そして、メイン州でも悪名を轟かせているショーシャンク刑務所に収監されてしまった。
容疑が2人の謀殺罪で、終身刑の判決が下されるというほどの重罪であるにもかかわらず、弾道や銃弾の旋条痕の検証も、アンディの手のコルダイト硝煙反応検査もなく、もちろん、アンディの銃の(捜索・回収および)発射痕検査もなし。状況だけで犯罪が証拠づけられた。しかも、アンディは高学歴のエリートで資産家であるにもかかわらず、まともな弁護がおこなわれた形跡もなく、判決後、アンディ(あるいはその弁護士)は控訴しなかったようだ。
というわけで、刑事訴訟法の手続きからいえば、辻褄の合わないことばかりで、アンディの殺人罪と終身刑が確定してしまった。
状況設定、プロットとしてはかなり訝しいが、まあとにかく、アンディが終身刑で過酷な刑務所に放り込まれないと、この作品の物語は始まらない。そうであるとしよう。何しろ、このあとの物語はじつに秀逸というか感動的なのだ。
というわけで、アンディ・デュフレイン(配役:ティム・ロビンズ)は茫然自失の状態で、ショーシャンク刑務所で服役することになった。
アンディが入所した日からの服役生活とできごとを語る狂言回し役は、やはり殺人罪で終身刑となってすでに20年近い監獄生活を送っている黒人、エリス・レディング(通称レッド)。配役はモーガン・フリーマン。深みのある人格と世の中と距離を置くような冷静な観察者役を演じると、モーガンの右に出る俳優はまれだ。
さて、このショーシャンク刑務所(架空の施設)は、ゴリゴリの権威主義者の所長、ウォーデン・ノートンがあたかも専制君主のように、横柄に振舞っている。彼は、いわゆるプロテスタント右派で、ファシストといってもいい思想の持ち主。その思想と行動スタイルは、刑務所の運営に「いかんなく発揮」されている。
囚人には、およそいかなる人権や人格の自立性、あるいは人間としての尊厳のかけらも認めない。ゆえに、更生や人格の成長・変化などを認めるはずもないし、教育や訓導によって、知識や教養を涵養し、社会復帰させるという目的意識もない。
要するに、囚人たちは、おのれの価値観や権威、権力を押し付け屈服させる対象でしかない。そのように描かれている。
この所長を補佐するバイロン・ハドリー刑務長は、「規律順守」とか「秩序維持」という名目で受刑者をいたぶり、虐待するのが習性になっている。根っからのサディスト。ほかの刑務官たちは、ウォーデン所長とハドリーの言いなりになっている。
その残虐性が遺憾なく発揮されたのは、アンディが入所した最初の夜だった。
その日、アンディを含む「新入り」たちがこの刑務所にやって来て、手荒な身体検査とシャウワー、消毒ののち、囚人服に着替えさせられて、個別房に収監された。そして、消灯・就寝の時間になった。
刑務所の異様な雰囲気をはじめて経験する「新入り」たちは、畏怖と緊張に縛られている。眠ることもできない。そんな心理のところに、さらに新入りを恐怖に陥れて泣き喚かせようと、監房中に脅しの言葉を響かせる男がいた。「シスターズ」という悪辣な集団を率いるボッグズだ。刑務所では、虐待やレイプが横行し、ときには囚人が殺されることもある・・・、と。
臆病者の、太った中年男が恐怖に耐えかねて、泣き叫び始めた。「ここから出してくれ!」と。哀願と号泣はやまなかった。
騒ぎを鎮めるためにハドリーがやって来て、その男を監房から引き出し、「静かにしろ。ここでの規律を教えてやる。」と言って、殴る蹴るの暴行を加えた。凄まじい暴力で、やがて男は意識を失った。ただちに医務室に送られた。が、翌朝までに、その男は死亡していた。臓器破壊によるショック死だった。
ハドリーは、その男の死に何の良心の呵責も痛痒も感じることはなかった。むしろ、権威と秩序を知らしめる有効な手立てだったと思っていた。