すでに述べたように、1960年代には合州国社会全般での市民権運動と民主化が大いに進んだことに対応して、刑務所制度の運営スタイルや刑・懲役の意味づけ、受刑者の扱いが変化した。要するに、刑務所と刑罰の〈社会化〉が進展した。
犯罪者を社会からひたすら隔離して懲罰するという発想から転換して、犯罪者の意識変革(規範順守意識の育成)や社会復帰、教育・職業訓練、累犯の予防などにより大きなウェイトが置かれるようになった。
ショーシャンク刑務所でも図書館施設を拡充し、受刑者たちが知識や文化、教養にアクセスする機会を増やし、図書館の運営や利用について受刑者自身を自発的・能動的に参加させる仕組みを導入していった。
さらに、ウォーデン所長は、州の公共事業、たとえば道路・鉄道・橋梁、下水道設備の建設を請け負って、作業を受刑たちにおこなわせるという事業を立ち上げた。
受刑者にはごくわずかの賃金を支払えばいいので、受注額を低く抑えることができた。そのため、公共事業の公開入札での価格競争力はきわめて高く、大規模な建設土木事業の大半を、ショーシャンク刑務所が受注することができた。
こうして、刑務所は経済的な企業体になり、年間に巨額の収益が刑務所に転がり込むことになった。
しかも、建設作業や土木作業は、受刑者の職業訓練や社会復帰のための教育的な機会の提供という評価・位置づけを与えられるようになった。
ウォーデンは、こうした「開かれた刑務所運営」「受刑者の社会参加」というキャッチフレイズを高々と掲げて、自分たちの刑務所経営を「先進的な取り組み」として宣伝し、マスコミへのパブリシティ攻勢をかけるようになった。
そうなると、一般の建設・土木業者は公共事業の受注競争では、著しく不利な立場に追い込まれることになった。彼らは生き残るために、買収と談合に訴えて出た。
州内の業者たちは、ウォーデンに競争入札に参加しないようにとか、応札価格に手心を加えてくれるようにとか頼み込むようになった。もちろん、多額の賄賂を見返りにしてのものだ。
こうして、ウォーデンは大きな利権のネットワークを手に入れ、彼の手許には、後暗い巨額の資金が流れ込むようになった。
それだけではない。ウォーデンは、刑務官グループを巻き込んで、公共事業の受注で受け取った代金から――そうでなくともわずかな額の――受刑者への賃金の一定割合を「ピンはね」したり、建設・土木資材を買い叩いたりして生み出した余剰資金を、不正に蓄えていた。もちろん、州政府から刑務所の運営費として渡される財政資金のかなりの部分を横領するという従来からの不正蓄財も、巧妙に続けていた。
こうした闇の資金を各地の金融機関とかその送金ルートをつうじて、ローンダリングして「公式の預金口座」に蓄える方法を案出、実行させるために、アンディが使われていた。
アンディは、ウォーデン所長の要求・命令には、表向き従順にしたがっていた。その代わりに、図書館の充実とか受刑者たちの福利厚生とか教育機会の拡大を要求して、着実に刑務所の運営を民主化し、受刑者の権利や自由を拡大していった。
たとえば、高学歴のアンディが州教育省から通信教育指導者として認定を受けて、通信教育=資格テストで受刑者たちに高校卒業資格を取らせる仕組みをつくり上げた。
ウォーデンたちにとっては、図書館の拡充や受刑者の教育機会拡大の運営経費は、彼らが手にする利権や資金と比べれば微々たるものだったし、彼らの不正行為の隠れ蓑として利用することもできた。それは、開放的で民主的な、つまりは進歩的な刑務所運営として高く評価され、州政府から刑務所に配分される予算額の増加につながった。
その多くの部分が、所長や刑務官たちの懐に流れ込むのだった。