というわけで、映画の物語とはずいぶん違う。
あとでも触れるが、当時、音楽家個人の芸術家としての才能や評判それ自体をとりたてて取り沙汰する社会状況にはなかった。
むしろ、帝都ヴィーンにあっては、宮廷での音楽家としての地位=身分こそがむしろ羨望の理由になるほどの時代だった。
したがって、この映画の物語状況は、現代社会に生きる人びとの心理や心性にもとづいて設定されているのであって、これが過去の時代に無媒介に投影されているのだ。
けっして往時の状況を反映したものではない。
ただし、モーツァルト自身はヨーロッパ音楽史の転換点を画した天才で、おそらく(わずか6年しか年齢が違わない)サリエーリの作風とは質的に異なる作曲法やら演奏法をもたらしたであろうことは想像できる。
そのことについて、経験豊富なサリエーリが何ほどかの感慨をおぼえて、来るべき音楽・作曲法の変動を予感し、ことに晩年には時代の変化をしみじみと感じたであろうことは想像できる。
であればこそ、19世紀前半の時代を担う新進気鋭の音楽家たちの育成に手を貸したのだろう。
では次に物語の人物設定と配置について見てみよう。
ヨーハン・ヴォルフガング・クリュゾシュトーム・アマデウス・モーツァルト。これが、天才音楽家(作曲家)モーツァルトの名前だという。
天才モーツァルトの父親、レーオポルトは、おそろしく知能が高く、謹厳実直で、しかも上昇志向がものすごく強い男だったらしい。なにしろ、まだ身分制秩序が厳然と残る18世紀半ばに、職人の子として生まれながら、故郷から遠く離れたザルツブルク大学に進学することができたくらいだ。
ところが、きわめて頭脳明晰だった(知能指数がめちゃくちゃ高かった?)せいか、法学や哲学にはすぐに学び飽きて、音楽(ヴァイオリン、チェンバロ、フルートなど:当時の音楽家は3つ以上の楽器をこなせるのは普通だったとか)をマスターして、音楽家としての地位の上昇をめざすようになった。
頭脳明晰で上昇志向が強く、厳格(自分の目標だけに固執して融通が利かない)だったわけだ。
子どもの人生だって、栄達への道をめざして自分で設計したがるのは無理もない、か?。
で、生まれた子どもの洗礼名をなんとギリシア語でつけ、それをラテン語表記にして世に知らしめた。あまつさえ、それを幼子にも教え込んで、覚えさせたという。