アマデウス 目次
原題と原作について
見どころ
あらすじと状況設定
アントーニオ・サリエーリ
発  端
輝かしいキャリア
2人を隔てるもの
〈神の寵児〉と父親
天才児と英才教育
立ちはだかる父親
音楽旅行
父親コンプレクスと反発
ザルツブルクでの鬱屈
挫折の味
身分秩序の壁
権力と芸術
権力の飾り物
世俗権力の成長と音楽
音楽は特注品で使い捨て
芸術性の芽生え
楽器の開発・技術革新
ひょんな出会い
楽曲の美しさとの落差
ヨーゼフ2世の宮廷で
ドイツ語歌劇
アマデウスの結婚
募る嫉妬と反感
父親コンプレックス
父親の顔つきと表情
サリエーリの計略
フィガロの結婚
妨害工作
天才は時代を先取り
父の死の打撃
アマデウスに死を
天才の早逝
そのほか諸々もろもろ
妻、コンスタンツェのこと
ザルツブルク大司教との対立
バロックからモーツァルトを経てベートーフェンへ

2人を隔てるもの

  というわけで、映画の物語とはずいぶん違う。
  あとでも触れるが、当時、音楽家個人の芸術家としての才能や評判それ自体をとりたてて取り沙汰する社会状況にはなかった。
  むしろ、帝都ヴィーンにあっては、宮廷での音楽家としての地位=身分こそがむしろ羨望の理由になるほどの時代だった。
  したがって、この映画の物語状況は、現代社会に生きる人びとの心理や心性にもとづいて設定されているのであって、これが過去の時代に無媒介に投影されているのだ。
  けっして往時の状況を反映したものではない。

  ただし、モーツァルト自身はヨーロッパ音楽史の転換点を画した天才で、おそらく(わずか6年しか年齢が違わない)サリエーリの作風とは質的に異なる作曲法やら演奏法をもたらしたであろうことは想像できる。
  そのことについて、経験豊富なサリエーリが何ほどかの感慨をおぼえて、来るべき音楽・作曲法の変動を予感し、ことに晩年には時代の変化をしみじみと感じたであろうことは想像できる。
  であればこそ、19世紀前半の時代を担う新進気鋭の音楽家たちの育成に手を貸したのだろう。

〈神の寵児〉と父親

  では次に物語の人物設定と配置について見てみよう。
  ヨーハン・ヴォルフガング・クリュゾシュトーム・アマデウス・モーツァルト。これが、天才音楽家(作曲家)モーツァルトの名前だという。
  天才モーツァルトの父親、レーオポルトは、おそろしく知能が高く、謹厳実直で、しかも上昇志向がものすごく強い男だったらしい。なにしろ、まだ身分制秩序が厳然と残る18世紀半ばに、職人の子として生まれながら、故郷から遠く離れたザルツブルク大学に進学することができたくらいだ。
  ところが、きわめて頭脳明晰だった(知能指数がめちゃくちゃ高かった?)せいか、法学や哲学にはすぐに学び飽きて、音楽(ヴァイオリン、チェンバロ、フルートなど:当時の音楽家は3つ以上の楽器をこなせるのは普通だったとか)をマスターして、音楽家としての地位の上昇をめざすようになった。
  頭脳明晰で上昇志向が強く、厳格(自分の目標だけに固執して融通が利かない)だったわけだ。
  子どもの人生だって、栄達への道をめざして自分で設計したがるのは無理もない、か?。
  で、生まれた子どもの洗礼名をなんとギリシア語でつけ、それをラテン語表記にして世に知らしめた。あまつさえ、それを幼子にも教え込んで、覚えさせたという。

前のページへ | 次のページへ |

総合サイトマップ

ジャンル
映像表現の方法
異端の挑戦
現代アメリカ社会
現代ヨーロッパ社会
ヨーロッパの歴史
アメリカの歴史
戦争史・軍事史
アジア/アフリカ
現代日本社会
日本の歴史と社会
ラテンアメリカ
地球環境と人類文明
芸術と社会
生物史・生命
人生についての省察
世界経済