映画では、アマデウスはヴィーンでごく自然体で才能を発揮していく。だが、彼の自由な発想・感性と作曲の才能は、サリエーリの羨望をかき立て、屈辱感を鬱積させていくことになった。
さて、ヴィーンで活躍するモーツァルトの評判を聞きつけたヨーゼフ2世は、アマデウスを宮廷に召し出した。オペラの作曲を依頼するためだった。もとより、それは皇帝=王権の権威を誇示し伝達するための儀式でもあった。
それゆえ、宮廷作曲家としてのサリエーリは、この儀式(モーツァルトの宮廷への歓迎)用のマーチを作曲して、ヨーゼフに献呈した。ヨーゼフはそのマーチを自ら演奏すると言い出して、フォルテピアノに向かった。
やがて宮廷に現れたアマデウスは、生意気にも、「マーチをもっと良い曲にしましょう」と言って、フォルテピアノを弾き始めて勝手にマーチを編曲してしまった。それがまた、すばらしいできばえだった。
サリエーリとしては、作曲能力の断然たる差を公式の場で見せつけられたわけで、内心はなはだ面白くない。
しかも、皇帝ヨーゼフから依頼を受けたオペラを、ドイツ語の歌詞でつくると言い出した。その理由は、イタリア風オペラはもはや時代遅れで、愛というものを理解していないからだ、と言い放った。
これも、イタリア人のサリエーリとしては内心はなはだ面白くない。
このオペラは、『後宮からの誘拐(Die Entführung aus dem Serail)』という作品。音楽史では画期的な作品らしい。皇帝ヨーゼフの肝いりでつくられたわけだ。
イタリア音楽の模倣から脱却しドイツ語による歌劇(Nationalsingspiel:国民的歌劇)を創作して、ドイツ=中欧で最有力の君主としてドイツの統合の盟主たろうとする、ヨーゼフの政治的意図があったと見られる。
ヨーゼフ2世は、死去した母マリーア・テレージアから皇帝位やら王位やら、たくさんの君主の地位を継承した。
皇帝位とは、いまや実体を失った骸骨のような神聖ローマ帝国の君主の地位。そのほか、オーストリア王位、ハンガリー王位、ブラバント公位(ベルギーの王位)、そのほかフランデルン伯など。
これらの地方はそれぞれ独立の政府や立法権をもつ自立的な政治体で、要するにパッチワークのような寄せ集めだった。ドイツ統合の前に、ハプスブルク家が支配するさまざまな地方を統合する必要があった。
という文脈でドイツ語圏の統合のために、そこに固有の文化を創出しようということだろう。台頭するプロイセンに対抗して。
モーツァルトとしては、ちょうどいいタイミングで受注を受けたわけだ。
そして、従来のイタリアンオペラに比べてはるかに技巧的で洗練された歌曲(旋律)を生み出した。語学的に「耳の良い」アマデウスならでは、ドイツ語の音節・抑揚や韻律に最適な旋律やリズムを生みだしたのだろう。
ところが、多彩な音をあまりに精緻に組み立てた(画期的な)旋律だったことから、ヨーゼフはオペラを観た直後、「音符の数が多すぎるようだな」と感想を漏らした。
実際には、ヨーゼフや宮廷貴族にしても、それまでイタリア語のオペラを聞き慣れていたわけで、ドイツ語でのオペラははじめてだったはずだ。快さと同時に強い違和感をかんじたかもしれない。
それだけ、モーツァルトの作曲は繊細で複合的だった(転調も多かった)わけで、音楽の歴史の転機を画したといわれている。
このブルク劇場で上演された「国民的歌劇」は興行的に大成功で、何度も上演された。もとより、アマデウスの新しい発想と着想、独創的な音楽性が物を言ったのだが、ヴィーン宮廷の政治的意図からして、ヨーゼフと王権の後押しがあってのことだと思われる。
映画では、この成功で、サリエーリは二重に打撃を受けたとして描いている。
1つには、モーツァルトのオペラ作家としての能力を圧倒的に見せつけられたこと。
もう1つは、サリエーリが想いを寄せていた女性オペラ歌手をアマデウスに寝取られてしまったことだ。
というよりも、この女性――当時、オペラ歌手は上流家門の女性の職業で、キャリアウ−マンのはしりだった――は、プリマドンナの役を獲得するために、アマデウスに色仕掛けで売り込んだのだ。
小柄で見栄えがしない、しかも、頭のてっぺんから抜けるような甲高い笑い声をあたり憚らず撒き散らす、奇矯な若造に、憧れの女性をさらわれたことにサリエーリは衝撃を受けた。しかも、女性の名誉欲の深さと尻の軽さにも愕然とした。