アマデウス 目次
原題と原作について
見どころ
あらすじと状況設定
アントーニオ・サリエーリ
発  端
輝かしいキャリア
2人を隔てるもの
〈神の寵児〉と父親
天才児と英才教育
立ちはだかる父親
音楽旅行
父親コンプレクスと反発
ザルツブルクでの鬱屈
挫折の味
身分秩序の壁
権力と芸術
権力の飾り物
世俗権力の成長と音楽
音楽は特注品で使い捨て
芸術性の芽生え
楽器の開発・技術革新
ひょんな出会い
楽曲の美しさとの落差
ヨーゼフ2世の宮廷で
ドイツ語歌劇
アマデウスの結婚
募る嫉妬と反感
父親コンプレックス
父親の顔つきと表情
サリエーリの計略
フィガロの結婚
妨害工作
天才は時代を先取り
父の死の打撃
アマデウスに死を
天才の早逝
そのほか諸々もろもろ
妻、コンスタンツェのこと
ザルツブルク大司教との対立
バロックからモーツァルトを経てベートーフェンへ

天才の早逝

  このとき、現実にモーツァルトには、正体不明の使者をつうじて鎮魂曲の作曲依頼があったという。ただし、発注主は、ヴィーン在住の伯爵、フランツ・ヴァルゼック・フォン・シュトバッハで、彼は亡き妻の冥福を祈るために匿名でアマデウスに作曲を頼んだのだ。
  でき上がった鎮魂曲は、モーツァルトの死後、これまた天才の名声をさらに高める作品だった。

  この鎮魂曲(鎮魂ミサ曲ロ短調)と並行して、モーツァルトは主要な作品として《魔笛:Die Zauberfloete》と《皇帝ティートの慈悲:La Clemenza di Tito》を作曲している。おそらく、――これほどの短期間に病身を押して――文字通り「身を削るような」創作だったに違いない。生命の最後の一滴を振り絞るような。
  無理が祟って、1491年12月1日、モーツァルトは病死した。
  一番もっともらしい死因説は、ロイマティス(リューマチ)性発熱だという。
  幼少のときから旅から旅の過酷な暮らしとスパルタ教育。おりしも衛生状態や栄養状態は悪かったので、体質的に弱くて子供のときにロイマティス性の心臓発作を幾度も起こしたらしい。
  それは、長らく潜伏して、精神的衰弱と肉体的疲弊が蓄積したこのときに再発したのではないかという。寒い時季で体力消耗もあっただろう。
  この月の7日、アマデウスの遺体はヴィーン市外の聖マルクス共同墓地に埋葬されたという。

  映画では、名もない下層民の死体がまとめて多数投げ込まれている、巨大な墓穴に放り込まれて、会葬者もないままにアマデウス・モーツァルトは埋葬された。
  これは当時、金持ちでも貴族でもないヴィーン都市住民の葬儀の普通の仕方だったようだ。
  この墓地は、埋葬区画には会葬者は入ることを禁じられていた。おそらく、衛生環境が恐ろしく悪いヨーロッパの大都市では当然のことながら、疫病の蔓延防止のためだと思われる。
  ことさらに孤独で悲惨な埋葬だったわけでないようだ。だから、アマデウスがことさら会葬者もなく悲惨な葬儀をされたというわけではない。

  いずれにせよ映像物語では、嫉妬に駆られたサリエーリは「神が寵愛した天才」を死に至らしめることができた。サリエーリからすれば、これは、神の冷酷で不公平な仕打ちに対する復讐だという。

■■そのほか諸々もろもろ■■

  以下、思いつくまま、アマデウスに関するあれこれをランダムに記述する。

妻、コンスタンツェのこと

  さて、未亡人となったコンスタンツェ。彼女は魅力的で賢かった。手許にあったアマデウスの作曲資料や手記・手紙類などをまとめて保存しておいたという。
  ということは、モーツァルトの才能や音楽についてかなり理解していたのではないだろうか。あるいは、そうするのが、当時の未亡人の普通の振る舞いだったのか?
  ともあれ1797年、彼女はこの都市で、デンマルク王国の外交官――つまりかなり有力な宮廷貴族――ゲオルク・ニクラウス・フォン・ニッセンと出会い、翌年から同棲を始めて、1809年に正式に結婚した。夫婦になった2人は翌年にゲオルクの故郷、コペンハーゲンに移り、10年ほどそこで暮らした。
  やがて、夫妻はヨーロッパ各地を訪ねて回ったのち、1824年にザルツブルクに居を構えた。
  そこで、2人は生前のモーツァルトの楽譜や資料を整理して、その伝記の執筆を始めた。してみれば、ヨーロッパ旅行は、あるいはモーツァルトの足跡とか生前の評価などの資料収集(取材)も兼ねていたのかもしれない。
  ゲオルクは1826年に没し、それから2年後に「モーツァルト伝」が刊行された。アマデウスの死後、比較的早い段階で資料の保存と整理がおこなわれ、生前の記録がまとめられたことで、後代の人びとがモーツァルトの音楽活動や人となりを理解する重要な手がかりが残されることになった。
  してみれば、コンスタンツェは少なくともアマデウスの死後は、彼の最良の理解者だったということになる。

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