アマデウス 目次
原題と原作について
見どころ
あらすじと状況設定
アントーニオ・サリエーリ
発  端
輝かしいキャリア
2人を隔てるもの
〈神の寵児〉と父親
天才児と英才教育
立ちはだかる父親
音楽旅行
父親コンプレクスと反発
ザルツブルクでの鬱屈
挫折の味
身分秩序の壁
権力と芸術
権力の飾り物
世俗権力の成長と音楽
音楽は特注品で使い捨て
芸術性の芽生え
楽器の開発・技術革新
ひょんな出会い
楽曲の美しさとの落差
ヨーゼフ2世の宮廷で
ドイツ語歌劇
アマデウスの結婚
募る嫉妬と反感
父親コンプレックス
父親の顔つきと表情
サリエーリの計略
フィガロの結婚
妨害工作
天才は時代を先取り
父の死の打撃
アマデウスに死を
天才の早逝
そのほか諸々もろもろ
妻、コンスタンツェのこと
ザルツブルク大司教との対立
バロックからモーツァルトを経てベートーフェンへ

楽器の開発・技術革新

  身分地位や富には恵まれなかったかもしれないが、アマデウスは、楽器の発達の歴史という点でも、神によって祝福されていたかに見える。管楽器などはより精密に製作され、音階を正確に表現できるようになった。
  しかし、一番の変化は、フォルテピアノ( Fortepiano /あるいはドイツ語でハンマークラヴィーア: Hammerklavier )の発明・開発だった。

  18世紀をつうじて鍵盤楽器の改良、技術革新が繰り広げられて、チェンバロやクラヴィコードから自立して、フォルテピアノ――ピアノフォルテともいうらしい――現代のピアノのフォーミュラが開発されたのだ。
  鍵盤楽器としてのチェンバロは、キイ=鍵盤の動きを伝達して、羽のような薄い(木製または象牙製の)ピックで鋼鉄製の弦を弾き、発振された音を共鳴箱としての楽器の躯体で増幅する仕組みになっている。
  クラヴィコードもだいたい同じ。
  ところが、フォルテピアノは、キイの運動を梃子の原理で増幅して、革張りまたはコルクあるいはフェルト張りのハンマーに伝え、これが、より強く張られた鋼鉄製の弦(文字通りピアノ線)を弾くようになっている。
  つまり、鋼鉄線の振動は長く持続可能で、梃子によってキイを押す動きの強弱がより強調される。もちろん、共鳴箱としての楽器躯体は、チェンバロよりもずっと精巧かつ堅固にできている。共鳴音響もはるかに大きくなる。
  で、鍵盤へのタッチ(力加減)で音響の強弱(フォルテとピアノ)を明白に演奏・表現できる楽器ということで、「フォルテピアノ」という名がついたという。


  ただし、当時のピアノの音域は現代のピアノの半分以下だった。せいぜい3ないし4オクターヴ前後。鍵盤の数は、30からせいぜい40。だから、ずっと幅も狭い。音響も現代のピアノよりも小さく、繊細だという。
  それにしても、大きな張力(応力)のスティール弦30本以上(何トンもの応力)を楽器に枠のなかに収めて安定した設計にするためには、相当に高度な工業技術、製造技法(強度計算とか材料、形状設計)が求められる。鍵盤の力を梃子で増幅してハンマーに伝える仕掛けも、同様。

  要するに、ピアノは近代的な工業技術の産物であって、初期ないしプロト産業革命の所産なのだ。
  ヨーロッパではじつは、16世紀半ばから、産業革命の準備段階が着実に進んでいた。
  ところが、「産業革命」=「近代」という図式で、先行する時代からの断絶や飛躍を強調したがる歴史観は、工業技術の連続的な進化の事実を無視ないし排除してきた。
  だが、楽器の発達史を見ても、この歴史観の根拠が崩れていることがわかる。

  いずれにしても、フォルテピアノの出現によって、楽器演奏による音楽(音階の変化や和音、そして強弱や余韻の長短など)の表現能力は、飛躍的に拡大した。
  たった1台のピアノでこじんまりした楽団並みの音域と表現力を得ることになった。楽器の王(女王か)としてのピアノの出現だった。
  モーツァルトは、運よく、少年期から青年期に、この革命的な楽器に出会い、習熟することができた。これによって、音楽創造の可能性は一気に広がった。天才が発揮される物質的な条件が用意された。

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