そこで、サリエーリが思いついた妨害工作とは、モーツァルトがオーストリア王国では禁止されている戯曲『フィガロ』のオペラ化を進めていることを宮廷に知らせて、作曲活動を差し止めさせようと企んだのだ――フィクションの筋として。
ヴィーンの宮廷は、モーツァルトを呼びつけて『フィガロの結婚』のオペラ創作を取りやめるように圧力をかけた。
ところが、アマデウスは、このオペラは貴族の風刺や批判にかかわるものではなく、人間の愛、夫婦の愛のすばらしさを高らかに謳い上げる作品だと訴えた。
ヨーゼフはモーツァルトの構想への好奇心を抑え切れなかったので、政治性を入れないという条件で作曲を大目に見ることにした。
ここでも、サリエーリの画策は挫かれた。だが、彼は、若い天才がどういう作曲をするのかということには、王以上に興味を抱いていた。
そこで、サリエーリは、劇場でのオペラの練習、演奏準備の様子を毎日見にいった。そこでは、一方では作品のすばらしさに心の底から感動しながら、他方では嫉妬が陰険な悪意に変わっていくのを抑えられなかった。
もっと聞きたい、観たい。だが、妨害せずにはいられない。
結局、映画では、『フィガロの結婚』は内容的にはアマデウスの名声を高めたものの、興行的には成功しなかったと描かれている。
理由は、あまりに長い歌劇だったために、ヨーゼフ2世が堪え切れずに「あくび」をしたため、劇場側が上演回数を限ってしまったからということだ。
だが実際の理由は、こうではなかったか。
当時、ヴィーンではオペラの観客はほどんが貴族とその家族、そして貴族の称号をもつ大商人や大地主、そして彼らの取り巻きや貴族に憧れる上流富裕市民という階級だった。
そこで、夫婦愛がテーマとはいえ、やや軽薄な伯爵が庶民(フィガロたち)に軽くあしらわれているという状況設定が、やはりこうした保守的な観客層に警戒心を与えたはずだ。これが理由ではないだろうか。
それに、ヴィーンの宮廷楽団にはアントーニオ・サリエーリのようにすぐれたイタリアンオペラの作曲家とか演奏家がたくさんいた。それなりに典雅で、従来の鑑賞法で気軽で、十分に堪能できる音楽や歌劇を供給していたのだ。
しかも構成が複雑で、内容が高度なモーツァルトのオペラがそれほど多くの観客を動員するのは難しかっただろう。
少しでも、宮廷や有力貴族たちの不安や懸念を呼び起こしそうな理由があれば、客足は遠のき収入は少なくなる。劇場支配人たちはオペラ上演の冒険に「二の足」を踏むようになるだろう。
ところが、ボヘミア、プラーハでは『フィガロ』は驚くべきほどの成功を収めたという。
オーストリア王権=皇帝の権威によって抑えつけられているボヘミア地方では、在地の貴族や有力商人たちは、「偉そうな」有力貴族がその奥方や庶民たちによってからかわれ軽くあしらわれる姿に、ヴィーンの中央宮廷への批判を込めて、溜飲を下げていたのかもしれない。
あるいは、古くからの歴史を誇るプラーハの方が、現今のレジームのなかでは政治的に周縁部――支配される側――として位置づけられたために、確固とした文化的素地を土台として反権力的な意識が芽生え、むしろ歴史的に先進的(ブルジョワ的な内容)を持つ、モーツァルトの歌劇を受け入れ評価できたのかもしれない。