見どころ:
この物語は、ヨークシャーのある古くからの炭鉱町のブラスバンドの実話にもとづいている。
20世紀末、ブリテン政府による産業再編政策によって、「古臭い」と見なされた産業は次々に切り捨てられ死滅させられていた。産業再編の荒波はとうとう炭鉱業にも襲いかかった。
もっとも、国営だった炭鉱業では労働組合の力が強くて、採炭技術・機械の革新や近代化につねに強硬に反対してきたため、炭鉱産業そのものの技術構造が老朽化・陳腐化し事故も多発していたため、深刻な財政危機への対応として経営の民営化が進められた。
私的資本家的経営となれば、競争のなかでより高い利潤率や利潤量をもとめて、炭鉱業から投資を引き揚げて、別の産業部門に投資を移し換えるようになるのは、理の当然ともいえる。
ブリテンでも最有力の石炭会社が、政府の産業政策による誘導を受けて、炭鉱業としては高い利潤率を維持してきたこの町の鉱山を閉鎖する経営戦略を打ち出したのだ。閉山するか否かを従業員の投票で決めることになった。
ところで、この町には創立から1世紀を超えるブラスバンドがあった。炭鉱労働者たちが楽団のメンバーだった。しかし今、ほとんどメンバーは絶望に直面していた。炭鉱がなくなれば仕事を失い収入を失う。バンドを続けることもできないだろうと。
彼らは、アマチュアバンドの全国大会の地方予選出場を最後に、バンドを去ろうと考えていた。
というのも、会社の経営陣は、今閉鎖と解雇に応じれば破格の失業補償(解雇手当)を支払おう という提案を示して、従業員による投票で「炭鉱閉鎖=解雇に賛成」への支持を獲得しようとしていたからだ。
バンドメンバーのほとんどは、戦闘的な全国炭鉱ユニオンの組合員だったので、表向きには「閉鎖=解雇反対!」。だが、内心では有利な解雇手当を手にしたいと考えていたのだ。サッチャー政権と経営側の冷酷な仕打ちにも憤慨していたが、将来の展望もなくひたすら反対闘争に組合員を駆り立てるユニオンにもうんざりしていたのだ。
そして、従業員投票では「閉鎖=解雇受け入れ」が圧倒的多数で支持された。今まさに炭鉱は死滅しようとしていた。
閉山賛成に投票した従業員たちは、そんな自分たちにもうんざりしていた。捨て鉢な気分に陥っていた。自己への尊厳やアイデンティティをすっかり失いかけていた。
だが、ブラスバンド(楽団)の指揮者の熱意やその息子の悲痛な思いを知り、尊厳を取り戻そうと奮起していく。
とはいえ、国家的規模での産業スクラップ化政策に打ち勝てるはずもない。
彼らは、最後の演奏に自らの尊厳や誇りを込め、アイデンティティを取り戻そうとした。
悲哀と絶望の状況を背景としているが、ささやかな趣味=音楽に自己表現と自己尊厳を見出そうとする彼らの姿は、じつに感動的だ。
原題の《ブラス・オフ》は、政府と経営側のやり方に憤り辟易しながらも、とことん演奏しようとする彼らの心情、心意気を表わすというほどの意味があるのかもしれない。