サッチャー政権は、世界の保守派の論客たちから、ブリテンの「産業の構造改革」と「経済復興」を達成したと評価されています。
しかし、実際には、まだ生き残りの余地のある――そして多数の人びとの雇用と収入がかかっていた――製造業全般から資本を引きあげ、あげて金融部門やIT産業に振り向けようとしました。こうして、零細製造業に依存していた、ロンドンの下町や各地方都市の雇用機会を奪い去ってしまったのです。
サッチャーと保守党右派は、ブリテン国家の支配階級の再編成、言い換えれば経済的権力の構造的な組み換えを推進したのです。
もはやひと頃の活力を失った製造業――しかも、そういう産業部門には比較的強固な組織を持つ労働組合があって、保守派の政権にしょっちゅう楯突いていた――のスクラップ化をとことん進めて、ロンドンを中心とする世界金融セクターに政治と経済のヘゲモニーを完全に掌握させようとしたのではないでしょうか。
その結果、金融業には膨大な資本が集積することになって、富裕化した階級が保守党をさらに強固に支持するようになり、スクラップ化された産業とともに戦闘的な労働組合は解体し、地方都市はさらに衰退し、労働党の支持基盤が切り崩されていったのです。もっとも、古い政治路線に頑なにしがみついた労働党指導部は権威を失い、やがてトニー・ブレアが党首になることになります。
古びて活力を失った産業のスクラップ化は「産業の安楽死」ではありません。恐ろしく苦痛のともなう「改革」だったのです。そして、ビルドされたのは金融寡頭制とIT産業でした。
もっとも、石炭産業の安楽死については政府や経営側にももっともな言い分はありました。
毎年、労働者の多くが炭坑事故で死傷し、しかも肺癌や肺気腫、肺水腫など深刻な疾病をもたらしている旧弊な石炭産業は、もはや産業として倫理的=道徳的に疲弊・磨滅している。さらに、大気汚染や炭酸ガスの排出が多い石炭燃料は環境破壊作用も大きい。がゆえに、から、もはや「安楽死」させるべきだというのです。
もっとも温暖化・環境対策という理由は見せかけにすぎませんでした。今度はオーストリアやブラジルなどから安い石炭を輸入して、火力発電などの燃料・熱源として利用する構造はその後も執拗に続きました。北海油田の開発はいっそう進展します。とにかくコストのかかる化石燃料は安く外国から輸入すればいいというわけです。
とはいえ、そんな産業でも多数の労働者に雇用機会を提供していました。彼らの家族の生活や炭坑町の生存は、炭鉱業に全面的に依存していたのです。彼らは炭坑作業の専門家だが、それ以外の技術はありません。炭鉱がなくなれば別の産業=労働市場に苦痛なく移動することはできないのです。
シティ・オヴ・ロンドンやウェストミンスターの清潔で快適なオフィスでエリート官僚が机上で、民衆の苦悩や苦痛に思いを向けることなく、いかにも安易に考えそうな「スマートな産業再編構想」ではありませんか。
ひとつの産業のスクラップ化は、それに携わるいくつもの町と市民層の日常生活のスクラップ化を意味するのです。
そして、この政策に対抗する労組もまた偏狭で頑なでした。旧弊な「戦闘性」を誇示することが「正しい」と信じて疑わなかったのです。組合員の転職転業のための職能訓練や再就労対策という妥協策に政府の金を注入させることさえも拒否しました。組合員に苦悩と苦痛を強いる――「やせ我慢しろ」と迫る――政策です。
政府や資本(経営側)は、組合のその頑なさをむしろ歓迎しました。「力の対決」に持ち込んで、労組勢力を壊滅させる口実ができたのだから。
というしだいで、サッチャー政権は、戦闘的な労働組合による組織率が高く政府に反抗的な、古くからの製造産業の多くを国民的規模でスクラップ化してしまったのです。「資本対労働」という古典的な階級対立の構図は、ブリテンにおける政治・経済の中軸から消えていくことになりました。とはいえ、階級格差や闘争が社会からなくなったわけではなく、もっと陰湿な――「スマートな」――形態で展開するようになったのです。