コリアリー・バンドがハリファックスで演奏しているとき、グリムリーの組合事務所では投票の開票がおこなわれていました。結果は、「閉鎖=解雇への賛成」が「継続要求」に対して4対1の圧倒的大差で「勝利」しました。
つまりは、従来通りの強硬な主張を続けてきた組合指導部の完全な敗北だったのです。展望を示すことができない闘争は勝利するはずがありません。
一般組合員のなかでは、少しでも有利な解雇手当をもらって、この消耗な闘争から抜け出したい、という心情が支配的だったのです。将来への展望が見えない闘争に倦み疲れていたのです。組合幹部は、生活者としての労働者たちの利害を代表してはいなかったのです。
追い詰められてすべてを失おうとしているフィルは、自分を呪いました。
「俺は組合と仕事仲間を裏切って『閉鎖』賛成に投票した。目先の生活資金がほしかったんだ。だが、サンドラや子どもたちは俺を見すててしまった。親父(ダニー)は死にかけている。バンドもなくなってしまう・・・。
だが、そのことを親父には言えない・・・どうすればいいんだ」と苦悩と絶望に苛まれていました。
フィルは道化師の姿のまま、炭坑の送風機の鉄塔に昇った。そこで首を吊ろうとしました。
ところが、首を括ってからすぐに坑道から出た坑夫たちによって発見され、救出され病院に担ぎ込まれました。ダニーが入院している町の病院でした。
幸い発見が早かったので、首筋にひどい擦り傷をこしらえたものの、頸椎や呼吸器に損傷はなかったのです。たった1日の入院で済みました。
だが、フィルは茫然として病院の長椅子にへたりこんでいました。ダニーは自分の苦痛を押して我慢して起き上がり、フィルを慰めました。
生活苦や自己嫌悪に苛まれれいたのはフィルだけではありませんでした。ほとんどの組合員が離職補償金と引き換えに炭坑閉鎖に賛成投票したことに忸怩たる思いでした。
指揮者のダニーが病床に伏していたにもかかわらず、ハリファックスでの地方大会ではグリムリー・コリアリー楽団は優勝することができました。バンドのメンバーは「これが最後の演奏だ」という覚悟で臨んだせいかもしれまぜん。「最後の勝利」をかみしめながら、バンドのメンバーたちは解散しようと決めていたのです。つまり、ロンドンの全国大会(決勝)に行くつもりはなかったのです。
というのも、決勝への参加費は旅費を別としても3000ポンドもかかるからです。失業してしまったメンバーにとっては、それは手の出せない贅沢でしかなかったのです。
アンディもこの町に戻ってから自分の楽器、アルトホルンをビリヤードの賭け金の質として差し出して大負けして、失ってしまいました。もう演奏する機会はないだろうから、というわけです。
とはいえ、もうバンドで演奏することはないだろうと思うと、メンバーの心は空虚でした。趣味とはいえ、心の支えを失おうとしていたのですから。
■グローリアの心意気■
ところでグローリアは、炭坑は収益性が高く存続可能という結論と根拠を示す報告書を経営陣に提出していました。ところが、石炭会社に戻って経営陣の顔色を窺ってみると、すでに以前から炭坑閉鎖の方針を決めているもようです。彼らははじめから経営存続するつもりがなかったのだということを思い知りました。アンディの言うとおりでした。
閉山に持ち込むために必要な手続きだったから、グローリアに炭坑の経営見通しに関する調査報告書を作成させたのです。そういう手続きを踏めば、サッチャー政権から炭鉱業からの撤退についての認可を受けることができ、解雇する従業員への補償金をまかなうための資金の助成が得られるからです。経営再建を真剣に検討したという証拠書類を示さないと、政府の財政資金は助成されないのです。
気持ちの収まらないグロリアは、報告書のコピーをつかんで会社の社長室に乗り込みました。そして、社長を問い詰めました。
「やはり、私の仕事はまったく無意味だったようですね。
会社側は投票前から炭坑の閉鎖を決定していたんじゃないですか。私を欺いたのですね」 と言って、報告書を社長の前に投げつけました。
社長は正直に反論しました。
「いや会社の方針を決定したのは投票前ではないよ。2年前にだよ!」
つまり、会社の経営陣は、2年後の閉鎖=解雇を計画して着々と準備してきたというのです。
グロリアはただちに退職の手続きをおこないました。そして、オフィスをあとにしました。
そこに、ハリーやジミー、アンディたちがボロ車で乗り付けてきた。彼らは会社のオフィスからオフィサー――経営管理部門のスタッフ――として出てきたグロリアを見ました。というわけで、グロリアの職業身分を知ることになりました。
いや、薄々は気づいていたというべきでしょうか。
そして、炭坑存続の方向で努力し、バンドにも協力してきたことも。
だが、それがかえって、考え方の古い男たちのプライドを傷つけたようです。家庭では妻に首根っこを押さえられているのだが、仕事に関しては「男性優位」の幻想を抱き続けているのかもしれません。いや、ほかにいあk利のやり場がないからでしょう。
「グロリア、やっぱり冷酷な経営側の味方だったんじゃないか」とハリーたちは一方的に言い捨てて、帰っていきました。
アンディは、以前からグロリアの内心と立場を知っていましたから、その場に残ってグロリアと言葉を交わすことにしました。むしろ彼女に同情していたのです。
だが、アンディはグロリアとの付き合いをやめるしかないと伝えました。そして、
「君は大学出のエリートだ。経営スタッフだったんだから。でも、君は炭坑とバンドを支援してくれた。けれど、君のその好意や思いやりが、かえって彼らを傷つけているんだよ」と。「男の立場」を代弁しました。
ところがグロリアは、面子ばかりを気にする頑なな男たちよりもはるかに賢明で、行動力があったのです。責任感も階級意識も、炭坑労働者に対する市民的な連帯意識もはるかに強かったのです。
彼女は、自分の退職金の半分をバンドに寄付し、ロンドンでの決勝への参加費として大会事務局に振り込みました。そして、町に帰ると、楽団に再結集させるために落ち込む男たちにカツを入れて回りました。楽団は再生し始めました。
見せかけばかりの階級意識を振りまく組合幹部よりもはるかに優れたオルガナイザーではありませんか。
アンディはあわててアルトホルンを取り戻しに行きました。