イングランドの商人や燃料業者はイングランド、ウェイルズ(カンブリア)やスコットランド(カレドニア)の山野の森林を破壊しつくすと、今度は植民地化したアイアランドの森林に襲いかかって、わずか数十年で根絶やしにしてしまいました。
こうして18世紀はじめまでに、山岳を含めてブリテン全体の森林は完全に破壊され、生態系と植生は暴力的に組み換えられてしまいました。
燃料・原料としての木材の枯渇は、ブリテンの製造業と商業に深刻な危機をもたらそうとしていました。
そんなとき、ブリテンの各地で多様な化石が産出するところで石炭鉱脈が発見、採掘され始めました。必要は発明・発見の母です。ブリテンの古生物学が世界に先駆けて発達したのは、エリート階級のあいだに、まさに地層や古地質の調査研究が、産業と貿易の死命を決するという意識が生まれ、巨額の資金援助が投入されたからでした。
古生物の進化論的な時期区分として、「カンブリア紀」とか「デヴォン紀」というように、ブリテンの地名がたくさん採用された大きな理由のひとつが、まさにここにあります。カンブリア紀といえば、樹木が化石化して石炭となるのが最も盛んな時期ではありませんか。炭鉱の発見・開発は地質学と化石生物学の発達をともないました。
というわけで、18世紀半ばまでに石炭の採掘が高い利潤率をともなう有望な産業、投資先として出現してきます。産業革命の直前までに炭鉱が産業として確立したのです。こうして、まず動力源を供給する産業が成立し、次いで動力機械の発明と革新が展開することになったのです。ブリテンの作業革命は動力機械の発明開発と化石燃料の開発から始まったのです。
近代世界経済における化石燃料の開発を最初に担ったブリテンの石炭産業は、深刻で大規模な「環境破壊の申し子」として出現・成長してきたというわけです。森林生態系の破壊のあとには煤煙による大気汚染が続きました。それは今日の気候温暖化まで続くことになります。
■世界経済の覇権と石炭産業■
なぜ産業革命が動力機(エネルギー源)の開発から開始されたのか、なぜブリテンで始まったのか。こうした疑問の答えのいくつかは、如上の過程から見出されるでしょう。
大工場制と機械工業が発達すると、鉄道とともに蒸気船(ことに軍艦)、砲などの破壊兵器の開発がおそろしい勢いで進んでいきました。鉄道も蒸気船(商船と軍艦)は、燃料としての石炭を大量に消費します。そしてどちらも、ブリテンがネーデルラントやフランスを押しのけて世界貿易と海洋航路の開拓、そしてヨーロッパ外の諸地域を威嚇し軍事的に侵略し、植民地化・属領化を推し進めるために、大変に役立ちました。
パクスブリタニカは、してみれば、まさに圧倒的な熱量を持つ化石燃料の開発と利用を物質的な土台としているわけです。
■エネルギー構造の転換と石炭産業の没落■
その2世紀後、ブリテン連合王国とアメリカ合衆国は、中央アジアや中東の原油産出地の利権獲得をめぐって競争し合うことになります。そして、旧弊なテクノロジーに依存し続けるブリテンに対して、アメリカは石炭に加えて完全に新たなエネルギー源(石油)を土台とする巨大な産業群を、しかも軍事産業と直結させて育成していきました。石油エネルギー産業は軍産複合体の主要な一角を構成することになります。
それが、次の世代の覇権国家を生み出す環境となりました。ブリテンは世界経済における権力の首座をアメリカに譲り渡したが、ブリティッシュ・ペトッロリアムとロイヤル・ダッチ・シェルという巨大な多国籍企業を擁して、全地球的な石油産業の権力体系に食い込み続けてきました。
しかも、金融ならびにテクノロジーでは、ブリテンは、この新しい化石燃料=エネルギー源の産業循環の心臓部に深く深く食い込んできました。シティの金融資本は、国内の産業連関とは遠く離れた次元で、石油や核燃料の産業循環を誘導し続けてきました。
このようなエネルギー構造・産業構造の大転換とともに、石炭産業はただちに資本蓄積の基軸から外れていく。かつて石炭産業を牛耳った各国の財閥企業群は、石炭業で蓄積した富を新たなエネルギー産業に投資していくことになった。
ところが、第2次世界戦争の終結直後、米英を中軸とする西側とソ連との冷戦構造が出現したことから、ブリテン国家は、ソ連国家との社会福祉や産業計画での競争を繰り広げ、経営危機に陥った石炭産業などを国有化することになりました。それは、炭鉱労働組合の左翼化=親ソ連化を抑止するためでもあったのです。
それから約半世紀後、国有化された基幹産業の老朽化を経て民営化の時代を迎え、さらに石炭産業のスクラップ化の時代を迎えることになります。それが、この映画の背景です。