ブラス! 目次
石炭産業の死滅
原題について
見どころ
あらすじ
炭鉱産業のスクラップ化
グリムリー・コリアリー楽団
アランフェス協奏曲
されど厳しい現実
サドルワースで
グローリアの仕事
追い詰められたフィル
投票結果
バンドの「再生」
連帯する妻たち
サンドラの決意
優勝、そしてダニー・・・
産業構造の転換と石炭産業の死滅
エネルギー構造の転換
ブリテンの石炭産業の歴史
  森林の枯渇と石炭産業
歴史的情景の描写記録として
おススメのサイト
ブリテンが舞台の映画
ダイヤモンドラッシュ
マダム・スザーツカ
アバウト・ア・ボーイ
のどかな信州の旅だより
信州まちあるき

■エネルギー構造の転換■

  ところが、ブリテン金融資本と政府は1970年代には、自国内ではエネルギー産業の転換にさいして石炭産業の死滅による構造転換を日本のように強行しませんでした。
  保守党と労働党とが政権交代を繰り返す政治構造が影響したのかもしれません。その頃には国有事業としての石炭産業の労働組合は組織率と戦闘性が高く、地方の労働党の組織と財政を支えていたからです。
  日本のように企業別に組合が組織され、企業別組合が全国的連合組織を結成するのではなく、ブリテンでは産業部門別に組織された全国的規模の組合に個別企業の従業員が加盟する仕組みになっているのです。そこで、政府や企業経営者側は、全国的規模で組織された戦闘的な労組と正面からことを構えるような産業構造転換の政策を打ち出すことを躊躇してきたのでしょう。

  しかも、1960年代後半と70年代前半には労働党が長く政権を担当していました。つまりは、エネルギー産業構造の転換が世界的規模で進んでいた頃です。
  労働党は、ヨーロッパ大陸諸国のようには、世家的規模での産業構造の転換に対応した産業政策を打ち出すことができなかったのです。保守党も同じでした。製造業の長期的停滞と低落を放置していました。
  製造業での技術開発と雇用機会の創出を課題にすることはなかったのです。というのも、シティの金融資本――銀行・保険など――や世界貿易の仲介業の権力が圧倒的に強大で、国内での製造業の育成のための政策を阻害し捻じ曲げていたのです。労働党も含めて、政府がシティの金融利害に抵抗してまで産業政策――産業の育成や転換を促す政策――を打ち出したことはまずなかったのです。

  イタリアのように、キリスト教民主党系の右翼的労組の影響力が強い国では、国営企業団「炭化水素公社」の経営陣が政府や右派労組と結託して石油中心のエネルギー構造の転換を強行する場合もありました。ただし、イタリアでは政財官界(プラス労働界)の癒着・腐敗構造が蔓延深化することになりました。それは、21世紀まで続く国家財政の深刻な危機を増幅していきました。
  日本でも石炭産業の死滅(スクラップ化=「安楽死」)はじつにいたましい事態で、多くの悲劇を生んだのですが、高度成長の前半期に強行されたので、労働力の再教育と移動にともなう苦痛は、今から考えれば、比較的に小さくて済んだのかもしれません。というのも、新たな産業=雇用機会が経済成長の過程で創出されていくなかでの「死滅」だったからです。
  もとより、自民党政権と財界の側には、労働組合運動の中核部分を解体したいという政治的目的もあったでしょうが。


  ところがブリテンは、ことに1980年代末から90年代になってから、経済瀬長の余力がすっかり失われてから新たな雇用機会の創出なしに、石炭産業を死滅させることになりました。国民的規模での人びとの苦痛の深さと長さは、日本とは比較にならないほどひどかったはずです。
  おそらくは、1980年代末には、北海油田の開発が進んでいたので、石炭産業を消滅させてもエネルギー供給は万全という状況になったことから、石炭産業の抹殺を強行しても、経済的権力の構造には綻びは出ないと踏んでのことかもしれません。
  あるいは、ブリティッシュ・ペトロリアムやロイヤル・ダッチ・シェルというブリテンの巨大な石油企業による国内市場拡大の要求を政府が飲んだからかもしれません。いずれにせよ、労働党が低迷していた状況でした。

■金融危機への種まき■
  サッチャー政権とその後継のメイジャー政権も残酷でしたが、その後を引き継いだブレア首班の労働党政権も、これまたシティの金融=世界貿易権力に影響されて、見るべきほどの産業政策を打ち出せませんでした。結局、国民経済あげて資本と資金を金融産業に集中させるという「選別と集中」を完成させただけだったようです。
  つまり、労働党政権はサッチャー政権が始めた産業転換政策の「最後の仕上げ」をおこなったのです。
  シティを中心に膨れ上がった金融権力は、世界中から巨額の投機資金を集めることができるようになりました。
  だが、今になってみると、それはユーロの危機やら原油への投機資金の集中やらを加速する要因となりました。20年間というスパンで見ると、世界経済の混乱要因を増幅しただけだったかに見えます。
  一方、この間、石炭産業や造船・機械製造などの古いタイプの工業部門を「安楽死」させたことで、ブリテン全体の工業力はすっかり衰退し、雇用機会は激減しました。そのため、ブリテンの賃金水準は――ポンドの為替相場の漸次低落傾向のもとで――著しく衰退していきました。つまり、教育水準が高いブリテンの「労働力価格」が下落したのです。当時のEC内で賃金水準が最も低い国のひとつとなったのです。
  その結果、アメリカ、ドイツ、日本の自動車産業などは安価な労働力という魅力にひかれてブリテンにEC向け生産拠点を創出するための投資を活発におこなうようになりました。その分、雇用機会は増大した。これがサッチャー政権による「産業の転換、雇用機会の創出」の実態なのです。

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