1990年代半ば、ブリテン、ヨークシャーの炭鉱の町、グリムリー。
創立から110年を超えるブラスバンド「グリムリー・コリアリー」は、消滅の危機を迎えていました。この町の吹奏楽団は、炭鉱で働く労働者たちによって結成されていたのですが、鉱山が閉鎖されようとしていたからです。すべての炭鉱労働者は職場を失い、別の町に移るしかなくなるのです。落ち込んでいて、とてもブラスバンドの練習をする気にはなれないのです。
鉱山会社の方針として、炭鉱の経営を継続するか閉山するかを従業員の投票で決めることになっていたのですが、彼らの多くはまとまった額の離職補償金が出る条件があるうちに鉱山を鉱山を閉鎖した方がいいと思っていました。
しかし、アマチュアのブラスバンドの地方大会、全国大会が迫っていました。
おりしもその危機のなかで、炭鉱夫たちが結成する「男くさい」楽団に突然、若い美女グローリアが1人加わることになりました。彼女はこの町で生まれ育ちました。今は石炭(炭鉱)会社のキャリア職員で、経営陣からの指示で、この鉱山の将来の収益性など経営条件を調査するためにやって来たのです。こうして、波乱の幕が開きました。
グローリアは、会社への調査報告のなかで、やり方を変えればこの炭鉱の収益性は維持できるという見通しを提示しました。しかし、経営陣ははじめから閉山するつもりでした。グローリアの報告を無視して、従業員投票の結果通りに閉山を決定してしまいました。
鉱山の経営条件の調査は閉山への1つの手続きでしかなかったのだ。懸命に炭鉱再建の方策を考えた努力が、一顧だにされなかったというわけだ。
しかも、グローリアが石炭会社の管理部門のキャリア職員だということが、町の住民に知られてしまい、周囲から非難がましく冷たい視線を浴びるはめになったのです。彼女は経営陣のやり口に憤り、会社を辞めることにしました。
グリムリー・バンドは何とか地方大会を勝ち抜いたのですが、閉塞状況のなかで楽団員たちはやる気を失ってしまい、決勝を目前にしてグリムリーバンドは解散状態になってしまいました。楽団の指揮者ダニーは、楽団を何とか再建しようと奔走しますが、ロンドンの決勝大会への参加費すらまかなえない状態でした。
グロリアはメンバーの冷たい視線を跳ね返しながら、自分の退職金をバンドの決勝参加費として寄付しました。バンドを再生することが、会社側に裏切られた仲間と自分にとって誇りと生きがいを取り戻すただひとつのチャンスだと思ったからです。
いじけていたバンド仲間たちも、ダニーやグローリアの熱意を感じて再結集していきました。
こうして、バンドは再生して、ロンドンの決勝に臨むことになりました。
映画の物語は、実在の町のブラスバンドと労働者たちの闘争の実話を脚色したもの。背景にある歴史的状況も実在したもの。
ブリテンの石炭産業は「ユニオンショップ制」または「クローズドショップ制」を取っていて、企業側は労働組合員のなかから従業員を採用・雇用する義務を負うことになっていた。あるいは、炭鉱業に就職したい者は採用時までに労働組合に加盟することが義務づけられていた。そして企業は、労働組合を脱退した従業員を解雇しなけらばならないことになっていた。
したがって、すべての従業員は労働組合の構成員となっていた。
ところで、ブリテンの労働組合は企業別組合ではない。造船業や機械産業、炭鉱業など産業部門ごとに全国的規模で労働組合が組織されていて、個別企業の労働者たちは直接この全国的組合組織に加盟して、企業や職場ごとに組合支部を運営することになる。労働条件・賃金などをめぐる労資交渉においても、全国的規模というか産業部門全体をひっくるめてのものとなる。
そこで、組合の組織率が高い部門では、労働者側の力が強くなる条件があるということになるし、労働者が企業別に分断されることもないので、全国的規模での「階級意識」が形成されやすい社会的環境にあるといえる。
しかし、業種によって労働組合組織は単一とは限られない。経営陣につねに楯突く戦闘的で強硬な全国組合もあれば、温和な組合もあった。従業員は複数の労働組合に分かれていることも多かった。しかし圧倒的多数派は労働党左派が牛耳る組合だった。
そこで、この物語で出てくる炭鉱の継続か閉鎖かに関する従業員の投票は、組合員による投票ということになる。
ところで、ブリテンの産業で発展したユニオンショップ制やクローズドショップ制は、労働者の権利を擁護するという意味で進歩的かというと、歴史的にはそうではない。
中世以来の職人の同業組合の伝統を受け継いで労働組合運動が成長発展してきたということだ。したがって、労働者の権利や地位を守るという側面はあるが、労働者個人の自由や権利を束縛しても組織としての組合の既得権益を擁護しがちで、組合幹部の立場やその組合が支持する政党=労働党を立場を労働者個人よりも優先する傾向を持つ。