この作品の舞台となるグリムリー(架空の町名)という町にも、保守党右派政権の産業切り捨て政策が襲いかかってきていました。
この町には、1881年に音楽好きの炭鉱夫たちが結成したブラスバンドがありました。その名を「グリムリー・コリアリー・バンド」という。コリアリー
Colliery とは、「炭鉱夫の」という意味があります。伝統と誇りにかおるブラスバンドです。
しかし、バンドのメンバーたちはすっかり落ち込んでいました。炭鉱の経営側が、炭坑の閉鎖を提案してきたからです。炭坑が閉鎖される見込みが濃厚なのです。
もちろん、組合は猛烈に反対し、炭鉱経営の存続を要求して経営側と交渉を続けていました。町中には、「資本の横暴を許すな!」とか「炭坑の存続を!」というスローガンが貼りまくられていました。炭坑夫の妻たちも、閉鎖反対運動に立ち上がっていました。
ブリテンの古くからの産業部門(炭鉱業や製鉄業、造船業、港湾荷役業など)では、労働協約に関しては「クローズドショップ制」とか「ユニオンショップ制」という制度慣行が定着してきました。それは、会社側は単一の労働組合の構成員とだけ雇用契約を取り結ぶことができる、あるいは雇用される場合には単一の組合に加盟することが義務付けられるというものです。
したがって、組合組織の力は強かったのです。ユニオンショップとかクローズドショップは、力関係では資本(経営)に対して劣位に置かれた労働者の立場を守るのに役立ってきましたが、それはじつは修正依頼の職人ギルドの組合組織の伝統を引き継ぐものでした。そのため、労組指導部の組合員(労働者個人)に対する支配力は専制的であるという側面もあるのです。
ところが、1980年代から保守党政府と経営者の攻撃によって労働組合は弱体化されていました。政府の産業政策を背景にして、経営側の要求に頑なに反対し続ければ、経営側は資本を全面的に引き揚げ、廃業するという方針を打ち出し、その攻撃にさらされて敗北を続けていたのです。
今回の労使交渉の行方も暗澹たるものとならざるをえないことを、じつは誰もが知っていました。
■苦悩する人びと■
冒頭のシーン。
登場人物たちと舞台となる場面のカットが続きます。街と炭鉱の様子が描かれます。
炭坑から勤務時間を終えた労働者たちがあがってくる。シャウワーを浴び着替えて街に戻っていきます。
ある日、街の下宿屋の前にフォルクスワーゲンが1台停まり、若い女性が下宿屋に入っていきました。女性は大家の夫人に挨拶してバッグを開いて荷物を出しました。そして金管楽器を手にしました。フリューゲルホルン
Flügelhorn です。
この楽器は、コルネット(小型のトランペット)と似た管楽器で、ソプラノ音域を担当します。普通、バルブが3本ついています。円錐口部が太いので、トランペットやコルネットに比べて甘美で柔らかな音色――映画ではそう聞こえました。
さて、大家の夫人は楽器を見ると「夜に吹かないで。コリアリー・バンドの練習場で吹くといいわ」と告げました。
同じ頃、バンドの指揮者、ダニーが自転車に乗り、街を一回りしながらバンドの練習場に向かっていました。彼はバンドに加入してから60年にもなる「古つわもの」で、グリムリー(街中)の名物です。
街路を通り過ぎたダニーを見送った坑夫の妻たちは、「炭坑とともにバンドもダニーの仕事(指揮)もなくなってしまうんだわ」と溜息をつきました。
まもなく、仕事を終えて帰宅した2人の坑夫が金管楽器コントラバステューバをかついで家を出ました。彼らはともに、妻から「バンド運営のためのカンパ(募金)をしてはだめよ。バンドもやめるとダニーに言うのよ!」と言われて、肩身の狭い思いで、練習場に向かっていました。
2人は途中でダニーに出会うことになりました。ちょうど、カンパを拒みバンドを脱退する口実をどうやってダニーに告げるか相談していたところでした。それでも、気まずさを押し隠していつものように挨拶しました。
ダニーの後姿を見送った2人は嘆息しながら、「あのダニーを裏切るなんて。そんなやつは許せないよな……」と自嘲しました。
同じ頃、ダニーの息子、フィルは妻のサンドラから問い詰められていました。
「会社からの特別解雇手当をもらって、借金を何とかしてちょうだい。生活費も足りないのよ!」と。
フィルがトロンボーンを担いで家を出ようとすると、サンドラは憤り、皿を投げつけてきました。
そのとき、ダニーが通りかかり、フィルは自転車の荷台に腰かけました。父子は練習場に向かいました。
フィルは、1984年の炭坑闘争のときに組合強硬派による職場ロックアウトに参加し、職場に突入しようとした経営側の警備員を殴ったために、刑法犯として有罪になり半年間投獄されたのです――そして停職18か月。そのときに、生活費に困って街の高利貸しから9000ポンド借りたのです。その借金は利子が膨らんで、いまや1万6000ポンドになっていました。
妻のサンドラは、3人の子供たちを育てるためにパートタイムで稼いだりして、四苦八苦していました。だから、フィルは妻のやり場のない怒りをただ黙って受忍するしかなかったのです。
フィル自身も道化師の副業をして稼ぎ、不足する生活費に充てていました。
フィルはトロンボーンの名手で、音楽に厳しいダニーからも資質を認められていました。しかし、彼の楽器は相当にくたびれていて、調整が利かないほどに音階が狂い始めていました。
さて同じ頃、若い炭坑労働者アンディは酒場に入り浸り、賭けビリヤードに挑戦してまたもや連敗数を増やしていました。彼はアルトホルン奏者です。彼もまた炭坑の行方とバンドの将来には深い絶望を抱いていました。自堕落な暮らしぶりもそのせいかもしれません。