刑事フォイルのシリーズ3では、1941年の2月から物語が始まる。この時期は、ブリテンの政府と軍がドイツとの戦争の状況について最も深刻な見方をしていた時期だ。つまり、ブリテンに対するドイツ軍の優位が動きそうもなく、敗北する危険が小さくないと判断していたのだ。
それはブリテンのインテリが悲観論に傾きがちだったせいかもしれない。あるいは、戦時統制を継続しようとした政府や軍が、一般市民の協力を取り付けるために意図的に流した情報かもしれない。それとも、ブリテン王国が世界覇権を失ってしまったという事態にエリート層が動顚・狼狽していたためかもしれない。
ところが、1940年10月から翌年5、6月にかけて、西ヨーロッパ戦線ではドイツ軍の破竹の攻勢はそれまでの勢いを失って膠着状態に陥ろうとしていた。とりわけ、ヒトラーとゲーリングがバトゥル・オヴ・ブリテン――ロンドン空襲を含めて――を強行し、これに航空戦力を集中投入したために、ドイツ軍の航空戦力は回復不可能なほどに大きく損耗していた。
とはいえ、他方で東部戦線ではドイツ軍の進撃は勢いを増していた。というよりも、ほとんどソ連の防衛線が構築されていなかったので、あたかも無人の野を征服するようなありさまだった。
ドイツの政治的・軍事的影響力は、ブリテンの世界支配の主柱のひとつとなっていた中央アジアと中東の産油地帯にもおよびそうな気配になっていた。これについてブリテン政府とエリート層は、相当深刻な危機感を抱いていた。
そういう事情から、ブリテン政府=軍は、全体としての戦況についてドイツに対して劣勢に立っているという「表向きの状況判断」をしたのだろう。
だが、ドイツ軍はバトゥル・オヴ・ブリテンによって航空戦力に深甚な打撃・損耗を受けてしまったため、西ヨーロッパから東ヨーロッパ、ウクライナ=ロシア平原、バルカン半島、北アフリカへと拡大し伸び切った戦線を防御する能力を失ってしまった。
海軍=海洋権力に決定的な弱点をもつドイツにとって、バルト海や地中海戦線で貧弱な艦隊を支援するはずの航空戦力が失われたのだ。
もともと、バルト海、地中海、北大西洋でのドイツ海軍の戦力はブリテンに対して著しい劣勢に立っていた。しかも、海軍のキャパシティの乏しさは、見栄っ張りのヒトラーが、戦艦ビスマルクや戦艦ティルピッツなどの超弩級戦艦の建造に資源を集中したため、快速巡洋艦や駆逐艦の建造が後回しにされたことで、いっそう深刻になっていた。
陸軍でも、ティーガー戦車を製造したために何個師団にもあたる通常(パンター・クラス)の戦車の製造が犠牲になっていた。戦略的視野を欠いた超高性能の兵器の生産は、兵器体系総体のバランスを崩し、戦力全体の弱体化を招いていた。
この海軍力での大きな弱体性を補うはずだった航空戦力を「ブリテン島の戦い」に集中投入して損耗させたため、ドイツ軍はバルト海での制海権を早期に失い、北海、北大西洋、地中海での劣勢を挽回する条件を失った。