こうして、ヴィンセントは飛び抜けた能力を発揮するヴァリッド、ユージーンの役柄を演じ切っていた。ガタカの公式記録でも、ヴィンセント=ユージーンは同期生のトップを走っていた。
そのため、彼はその週末の宇宙飛行ミッションのメンバーに選抜された。ほんの2週間の訓練と審査で宇宙飛行士に選ばれたのだ。多くの若者は数カ月から数年の期間をかけるのが通常だったのだが。
ところが、この宇宙飛行ミッションの管理官――部門の取締役を意味する――は、ヴィンセントの成績について疑念を抱いていた。そして、週末の飛行ミッションを延期しようとしていた。
ところが、このディレクターはある夜、会社内で撲殺されてしまった。凶器は、コンピュータのキイボード。頭部を潰されて即死していた。
会社内では大変な騒ぎになった。
翌朝、出勤したヴィンセントも、ほかの野次馬に交じって、ディレクターが殺害された現場を覗いてみた。彼は、意外な成り行きに皮肉な微笑を浮かべた。
だが、気の緩みが生じたせいか、そのとき、自分自身の睫毛をその近くの卓上に落としてきてしまった。
さっそく警察が事件の捜査に乗り出した。
現場に駆けつけた捜査員の分隊を指揮していたのは、偶然にも、ヴィセントの弟、アントニオだった。ヴァリッドの彼は、警察組織の内部で順調に昇進して、捜査官たちを指揮する地位についていた。
警察組織は、軍組織に倣って編成された階級組織だ。それゆえ、職階におけるヴァリッドとインヴァリッドとの格差が歴然としていた。ヴァリッド=エリートは、その遺伝形質という資格だけで自動的に昇進していき、現場での捜査実務での経験を十分に積まずに指揮官になっていく。
現代の日本のキャリア警察官と同じだと思えばいい。だから、地道な捜査による実務経験があまりないので、犯罪捜査という活動が本来要求する条件について、十分な配慮を持たずに育成されていく。「頭でっかち」になる。そのため、現場の捜査官たちとのあいだに、懸隔が広がっていくことになる。
アントニオも例外ではなかった。
アントニオは、事件の捜査の方法論や全体的戦略を打ち立て、推理の仮説を提示する仕事に専念していた。地道な捜査はすべて部下にやらせていた。そのため、個々の推理や仮説を裏づけたり、それらを1つひとつの成否を検証・吟味する作業を、軽視していた。
もとより、個別の事柄にいちいちこだわって全体的な展望や広い視野を見失うことはあるので、全体的視野から捜査の進め方を方向づけることは必要だ。だが、犯罪捜査は、個々の事実や証拠の積み重ねをつうじて因果関係や動機、事件の経緯を把握していくしかない。
この作品は、近未来の警察組織の内部でのエリート(キャリア)と現場の捜査官との分業関係や序列=力関係を端的に示していて興味深い。
一方、アントニオの部下の捜査官は、新たな事実関係や証拠が発見されるたびに、容疑者像や動機などについての見方を変えていく。だから、はじめは見当違いの方向に向かうが、1つひとつの事実や証拠の積み重ねによって、最終的には真犯人(本当の動機)にたどり着く。
ところが、アントニオは、はじめは客観的・冷静にふるまっているが、やがて――自分の感情や偏見、価値観に沿って――ある仮設を固めてしまってからは、それに拘泥し続けることになる。
この偏見は、インヴァリッド、とりわけ自分の兄への「歪んだ優越感」を満足させるという主観的な目的によって加速され、増幅されていく。
つまりは、殺人事件を背景として、アントニオとヴィンセントとのパースナルな確執・心理戦が、殺人事件の真相解明の動きとオーヴァーラップしながら、この映画の1つのモティーフとして描かれていくのだ。